2015年6月25日木曜日

〇《奥の細道》紀行・出羽路(24) 羽黒山頂「出羽三山合祭神社」(一)

奥の細道》より、
『(六月)五日、権現に詣づ。』
 右側の自動車有料道路を登って山頂に来た。
 ↓ 天宥社
 「天宥社 羽黒山五十世執行、別当天宥法印を祀った御社。天宥法印は羽黒山中興の祖と仰がれ、今日お山繁栄の基を築かれました。‥‥」
 ↓ 早速に芭蕉像が迎えてくれた。横に句碑もある。
 ↓ 作者が上手すぎてかえって銅像にリアリティがない。素朴な作風が芭蕉像向き。



 ↓ 芭蕉句碑
 《涼しさやほの三日月の羽黒山
《加多羅礼努湯登廼仁奴良須當毛東迦那
語られぬ湯殿にぬらす袂かな
雲の峯幾つ崩れて月の山
 ↓ 手水舎
 ↓ 「出羽神社・月山神社・湯殿山神社」
 ↓ 鐘楼


 ↓ 拝殿・本殿






↓ 鏡池。拝殿の前面にある。


 ↓ 拝殿の彫刻

当山開闢能除大師はいづれの代の人と云ふ事をしらず。延喜式に「羽州里山の神社」と有り。書写、「黒」の字を(誤りて)「里山」となせるにや。羽州黒山を中略して、羽黒山と云ふにや。出羽といへるは、「鳥の毛羽を此の国の貢に献(たてまつ)る」と風土記に侍るとやらん。月山・湯殿を合せて三山とす。当寺、武江東叡に属して、天台止観の月明らかに、円頓融通(えんどんゆづう)の法(のり)の灯かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修験行法を励まし、霊山霊地の験効、人貴び且恐る。繁栄長(とこしなへ)にしてめで度(たき)御山と謂ひつべし。』
〇「武江東叡」 武蔵国江戸東叡山寛永寺のこと。天台宗関東の総本山。家康の菩提寺。

0 件のコメント:

コメントを投稿