本日日曜日、一日中快晴。春の陽気。
土山宿に旧東海道松並木がわずかに残っているというので見学。旧本陣、問屋も残っていた。旧東海道は色変わり舗装されているので分り易い。
西行も越えたという鈴鹿峠を国道で越えた。麓に残っている山村の中を縫う道が旧東海道だろうが、峠を越える道は昔も今もルートとしては余り変わっていないよう。西行は熊野方面からも伊勢二見に入ったらしい。高野山と伊勢二見を何度も行き来している。
伊勢二見で探訪したところを列挙すると、
①二見興玉(おきたま)神社。夫婦岩、藻刈神事で有名。西行は必ずやこの神社に参拝している。
②寶日館(ひんじつかん)。国重文。西行と無関係。
③廃店利用のボランティアギャラリー「西行と二見浦」。貴重な資料・情報を豊富に仕入れた。無人。
④朝日館裏の西行歌碑。四苦八苦して辿り着いた。地元の人はその存在を全然知らない。二見における西行の事績も知らない。
⑤安養寺跡の西行庵遺跡。無人ギャラリーで情報を仕入れたので割と素直に到達できた。何もないが、そこに所在したことは確信。西行谷と呼ばれた窪地の地形が今も見て取れる。
暗闇の中、和歌山県かつらぎ町(紀の川市の東隣)の道の駅「紀ノ川・万葉の里」に滑り込んだ。19:30。ここに宿泊するのはかれこれ五回ほどになる。ボクと気が合う道の駅。「あいの土山」は二回目。
明日の最初の行動は決まった。ので、紀伊半島の最太部をものともせず横断してここに来た。西行の生まれ故郷(紀の川市)に建立された西行銅像を拝見しに行く。既に場所を特定した。
その後どうするか。九度山町から高野山に登り、最近落成した山門を見がてら西行が籠ったという三昧堂をもう一度見て来ようかなという気になりつつある。《西住》(西行の心の友、だが若死にした)と一緒にそこで夜を明かして月を眺めたという奥の院にかかる橋も、そういう物語を念頭に見直して来ようかなと。
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