2016年3月21日月曜日

〇3/21(月・春分の日)晴。紀の川市(西行の生まれ故郷)で西行の銅像に会い、高野山に登って西行が32年間過ごした辺りを歩いた。

〇道の駅「紀ノ川・万葉の里」で目覚め。朝日の中で菜の花が満開なのに気付いて驚く。
〇近くの西行銅像に面会に行く。既に和歌山県地図で、その存在と在り処を確認していたので一発で到達。想定より小さな銅像。西行の本名は佐藤義清(のりきよ)。実家は紀の川沿いの田仲・打田の荘の領主。銅像の周辺には「打田」「東田中神社」の地名が残っていた。東田中神社に寄ってみた。境内は広く森厳で、雰囲気は清らか気な神社。
〇九度山から高野山に登る。金堂前の中門が完成していた。中門は永らく焼失したままだった。門を固める四天王像が立派。四天門だ。先ず霊宝殿で高野山の至宝類を拝観(霊宝殿の駐車場を拝借した手前もあった)。次に壇上伽藍を経廻った。西行が籠ったという《三昧堂》を見直すため。三昧堂は確かにあった。大会堂(だいえどう)と東塔に挟まった位置の小さな御堂。御堂の前に《西行桜》もあった。大会堂の前の坂を会堂坂(えどうざか)というそうで、その坂の東側に西行の庵(坊か)があったそう。
西行が親友・西住と月を眺めて夜を明かしたという奥の院の橋(入口の一の橋に違いない。中の橋や廟の橋は杉木立が鬱蒼としていて月が見えまい)もその気になって観察してきた。今は石の立派な橋で風情がない。西行の時代は木の橋だったろう。
〇家に辿り着いたら23:30。次女の車が居た。寝ていたが目を覚まして朗報を齎してくれた。今度の旅に出る直前、長女が来て凄い朗報を齎してくれた。次は三女の番だが、こちらの朗報はFBで日々確認している。元気一杯仕事とライブ活動に勤しんでいる。元気に勝る朗報ナシっ。

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