○禿げている場所が、発掘調査中の北条氏邸跡・円成寺跡
「守山中世史跡群の歴史は平安時代の終わりの900年前ごろ北条氏が移り住んだことに始まります。北条氏は屋形の北条氏邸跡、氏寺の願成就院(がんじょうじゅいん)などを整備してこの地域を一族の拠点として整備しました。鎌倉幕府滅亡後には最期の執権北条高時の母、覚海円成に北条氏邸が与えられ、北条氏の子女の保護と元弘の変の死者供養のために円成寺が開かれました。室町時代にはこのちが伊豆国の中心地であったため、鎌倉に入ることが出来なかった堀越公方がこの地に御所を構えました。北条早雲により堀越御所が攻められ、政治的な中心は市内の韮山地区に引き継がれます。平安時代末から室町時代まで300年余りの間、守山周辺のこの地域は北条氏の拠点として、伊豆地域の中心として機能しました」
守山西の平坦部が北条氏邸跡
公園向かいを流れる狩野川
トタン囲いの部分は発掘調査中の場所
発掘調査中の場所を覗いて見た
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