「流浪の画家」の隆くん
2011年10月20日木曜日
〇三徳山「三佛寺」・絵葉書(池本喜巳氏撮影)より引用
正本尊・蔵王権現立像、重文。蔵王権現は、役行者を開祖とする修験道独特の本尊で、この像は投入堂の本尊として安置されていた。今は宝物殿に移管されている。
蔵王権現立像群・重文。かつて投入堂には本尊として蔵王権現立像が七体も安置されており、全国の修験道関係の寺の中では圧倒的に多い。中央の正本尊よりも他の六体の方が古く、中でも右から二体目は年輪年代測定法木造の蔵王権現立像としては日本最古であることが明らかになった。いずれも宝物殿に展示されている。
三徳山(みとくさん)諸堂遠望・空撮。三徳山は標高900m。浮かぶように建つお堂の手前が「文殊堂・重文」、その背後が「地蔵堂・重文」、中央の岸壁の洞窟に建つのが「投入堂・国宝」。
国宝・投入堂(東側より)。投入堂を東側の谷より捉えたもので、参拝者にはまず目にすることができない投入堂の景観の一つ。通常投入堂を拝するのは西側のみで、右下の参拝者の位置からは、向かって左側の「愛染堂」の全容は掴めないが、ここからは愛染堂が自然に合わせた自在な柱構造であることを見て取れる。
納経堂・重文。一間四方ほどの小社だが、奈良の春日大社本殿と同じ形式で建てられた神社建築。建築年代は、最近行われた年輪年代測定で、国宝・投入堂と同時期の平安後期の建物であることが科学的に証明された。これにより、神社本殿形式で平安時代まで遡る建物が、投入堂と、京都の宇治上神社本殿に加えて三棟になった。
文殊堂・重文。本堂と投入堂の中間辺り、岩角に片寄せて建てた桁行四間・梁間三間の舞台造りの軽快なお堂。
秋の地蔵堂・重文。標高440m辺りに建つ、桁行四間・梁間三間の、背面に軒唐破風をもつ軽快な懸造り構造のお堂。下方の文殊堂とほぼ同じ構造・規模だが、多少簡素な造り。建築年代は文殊堂よりやや古い室町後期と考えられている。
雪庇する文殊堂。
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