長尾寺の歴史・由来
明治維新以後、本坊は学校や警察、郡役所などの公共施設に提供された寺。地元では「長尾の観音さん」や「力餅・静御前得度の寺」として親しまれています。 開創は聖徳太子という説もありますが、天平十一年に行基菩薩の説が一般的。行基がこの地を歩いていると道端に楊柳の霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を彫造し本尊として安置。法相宗を開基しました。その後、弘法大師がこの寺を訪れ、入唐が成功するように年頭七夜に渡り護摩祈祷を修法して国家安泰と五穀豊穣を祈願されました。その祈願は現在にも受け継がれ、毎年正月の七日には「大会陽」が盛大に開催されています。唐から戻った大師は、再びこの地を訪れ「大日経」を一石に一字ずつ書写し供養塔を設立し、その時に真言宗に改宗。長きに渡り多くの天皇から帰依された寺でしたが、天正の兵火により、本堂以外は灰燼に帰します。江戸時代に藩主松平頼重が、堂塔を整備。その時に天台宗に改めています。
〇天台宗。本尊・聖観世音菩薩。
とうとう第87番目札所まで来た。あと一つ。
経幢2基が門前にある。重文に指定されている↑。 経幢は鎌倉中期頃から作られ経文を埋納保存する施設、あるいは供養の標識として各地に建てられるようになった。
仁王門
境内
本堂
大師堂
祀られているのが神か仏か分らない。自在天らしい。
薬師堂
〇残すは結願寺・大窪寺のみ。
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