《曾良随行日記》より、
『一 廿五日 吉。酒田立つ。‥‥。未の剋(ひつじのこく・午後二時)、大山に着く。状添え而丸や(屋)義左衛門方ニ宿。夜雨降る。
〇廿六日 晴。大山ヲ立つ。‥‥。大山より三瀬(みせ)ヘ三里十六丁、難所也。三瀬より温海(あつみ)ヘ三リ(里)半。此の内‥‥色々ノ岩組景地有り。未の剋(ひつじのこく、午後二時)、温海に着く。鈴木所左衛門宅に宿。‥‥。
〇廿七日 雨止む。温海立つ。翁ハ馬ニテ直ニ鼠ヶ関(ねずがせき)被ㇾ趣(おもむかれる)。予ハ湯本ヘ立寄り、見物シテ行く。半道計(ばかり)ノ山ノ奥也。今日も折々小雨ス。及ㇾ暮、中村ニ宿ス。』
↓ 温海温泉。湯本がどこか分からなかったが、多分町民用の銭湯があった所じゃないかと思う。一望して湯煙の立ち昇っている所はなかった。
↓旅の同志・セレナ君が橋の上に居る。
〇温海温泉は日本海沿岸から直角に谷沿いに山中に入る。海からそれほど遠くない。曾良は芭蕉と温海(海岸の集落)で別れて温海温泉の湯本に寄ったが、彼のその後の旅程について、曾良はそのまま山中深く踏み入って旧出羽街道の奥山路を辿り、芭蕉は海岸線を辿って越後路の中村(現・北中)宿で二人は落ち合ったという説をなすものがいるが、ボクは曾良が海岸線通りの旧出羽街道に戻り芭蕉の後を追ったと思う。湯本からそのまま山奥に入り中村・北中に至る道は大変な遠回りで且難路。
2015年9月13日日曜日
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