2019年12月10日火曜日

★奥の細道紀行 第208章 村上市②「村上城跡」

『曾良随行日記』には、村上城中に参内したことが書かれている。『○二十八日 朝晴。中村ヲ立、到蒲□(葡萄村だろう) ‥‥。申ノ上刻(午後三時過ぎ)ニ村上ニ着、宿借テ城中へ案内。喜兵・友兵来テ逢。彦左衛門ヲ同道ス。』
〇《奥の細道》本文で芭蕉は、二泊した村上については全く触れていない。文学作品としての構成上不要と考えて省いた。村上に歌枕はない。
↓村上城登山口。山頂は標高135m。







↓登山道が延々と続く




途中、展望台があった。


↓とうとう山頂の入口石垣に到着。月山登山は覚束なし。


↑↓ 「四ツ門跡」。四つ足門跡と云う意味だろう。
↓調練場跡
↓この地図を子細に検討すると、「四ツ門」は四つ足門ではなく、東西南北四方向に備えた門が文字通り四つあったと見える。
↓二の丸石垣
↓御鐘門跡。二の丸入口にあたる。


↓出櫓跡
↓本丸石垣
↓先の石垣を廻り込むと本丸入口がある。
本丸跡。村上城は籠城できてもせいぜい1500名が限度だろう。しかも長期籠城は兵糧が持たない。信長・秀吉時代の様に大軍を動員する戦争になるととても役に立たない。
村上市街の眺望。右側の山裾を三面(みおもて)川が流れて日本海に注ぐ。
天守櫓跡に咲く百合。
  ↓下山。登山口に隣接して「城主居館跡」が広がる。
〇芭蕉は村上城中のどこまで案内されたかは分らないが(案内者は家老職だったらしい)、村上城の登り口にあった「城主居館跡」辺りまで来たことは間違いなかろう。ボクは芭蕉が訪れた所をまた一つ踏襲したことになる。

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