2019年12月24日火曜日

★奥の細道紀行 第219章 柏崎市「出雲崎」(芭蕉一宿の地「大崎屋」)

曾良随行日記』 『〇四日 ‥‥寺泊ノ方ヘ来たリテ、左ノ谷間ヲ通リテ、国上ヘ行く道有り。荒井ト云塩浜ヨリ壱リ計有。寺泊ノ方ヨリハ 、ワタベ(渡部)ト云所ヘ出テ行也。寺泊リノ後也。壱リ有。同晩、申ノ上刻(さるのじょうこく、午後三時半過ぎ)、出雲崎ニ着き、宿ス。夜中、雨強く降る。』
 〇出雲崎に到着。「良寛堂」と「芭蕉苑」のあるのが圧巻。
↓良寛堂


 良寛像




 「良寛和尚誕生之地」
 「良寛生誕地橘屋跡」

 日本海・佐渡島を見て坐っている。
〇良寛堂の山側背後に「芭蕉苑」がある。
 良寛堂の背後に「芭蕉園」があり、芭蕉園の前に、小路を挟んだ向かいに芭蕉一宿の地・大﨑屋があった。


 ↑「芭蕉と出雲崎 元禄2年(1689) この北陸路に奥の細道の行脚をしていた芭蕉は、ここ出雲崎(旅人宿大崎屋)に一泊したといわれている。門人の曾良は「曾良旅日記」の7月4日の記述の中に「四日快晴、風(中略)同晩、申ノ上刻(午後3時半頃)出雲崎着宿ス、夜中、雨強降」と記している。この夜海辺の窓を押し開けて大宇宙を観じた俳聖芭蕉は天下の名吟「荒海や佐渡によこたふ天河」の霊感を得たのである。尚、旅人宿大崎屋はここ芭蕉園の真向かいにあり今は民家になっている。」
↓ 芭蕉園


 ↓園内の芭蕉像








↓「ゑちごの駅 出雲崎といふ所より佐渡がしまは海上18里とかや 谷嶺のけんそくまなく東西30余里によこをれふしてまた初秋の薄霧立もあへすヽ手のとヽく計になむ見わたさるけにや此しまはこかねあまたわき出て世にめてたき嶋になむ侍るをむかし今に到りて大罪朝敵の人々遠流の境にして物うきしまの名に立ち侍ればいと冷しき心地せられるヽに宵の月入かヽる此うみのおもてほのくらく山のかたち雲透にみへて波の音いとヽかなしく聞え侍るに
芭蕉
荒海や佐渡によこたふ天河 」




 ↓芭蕉園の前。セレナの停まっているあたりの民家が昔・大﨑屋があった所らしい。

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