2019年8月7日水曜日

★奥の細道紀行 第76章 仙台に入り「芭蕉が辻」の宿に泊る。仙台に四泊五日

奥の細道《名取川を渡って仙台に入る。あやめふく日也。旅宿を求めて四五日逗留す。》

曾良随行日記』『五月四日 ‥夕方仙台に着く。その夜、宿・国分町大崎庄左衛門。』
〇大崎庄左衛門は芭蕉の門人ではなく、旅籠の主だったよう。芭蕉の辻にあった旅籠だという情報があるので、先ずは芭蕉の辻を探した。それが発見するのが至難。何せ仙台は空襲に遭って戦後、道路・街並みが区画整理されて一変し昔の奥州街道の一辻を求め回っても徒労ではないかと思われた。しかし、執念の末にたどり着いたのがここ。



 ↑「道標 南・江戸日本橋迄 六十九次・九十三里 奥州街道」
↑「芭蕉の辻 ここは、仙台城の大手から城下を東西に貫く幹線大町と、南町国分町を通る奥州街道の交差する十字路に当たり、古くから「芭蕉の辻」と呼ばれてきた。この名称の由来は、かってここに芭蕉樹があったためと言いまた繁華な場所ゆえの「場所の辻」の訛ったものだとも、更に藩祖政宗が重く用いた芭蕉という虚無僧が一時居住していたためとも言われ、定かにはわからない。‥」
〇この説明だと、「芭蕉の辻」にたまたま《芭蕉》が宿泊したことになる。そんなつまらない話で終わっていいのかい、と言いたい。《芭蕉》の泊った宿があった辻だから「芭蕉の辻」と云われるようになったとの楽しい(ありそうな)説明も一つ書き加えられないのだろうか。この作文、このままでは釈然としない。
とにかくこの辻の発見から、仙台での探訪の道が開けていった。芭蕉と曾良は仙台に四泊五日滞在した。

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