2019年8月30日金曜日

★奥の細道紀行 第86章 多賀城市「史跡多賀城跡」

 〇多賀城跡に着いた。石碑の刻名は「史跡多賀城跡」。仙台と塩竈の間にある。車道で南北に分断されている。「壺の碑」は城跡内にある。当然芭蕉は多賀城跡を見渡している。ただ《奥の細道》《曾良随行日記》には、多賀城跡見学の記述はない。
 ↓車道の南方に足を向けると芭蕉句碑があった。
《あやめ草足に結ばむ草鞋の緒》
 ↓多賀城・外郭南門前に着いた。
 ↓多賀城全景。囲み線は外郭線。真ん中の長方形が政庁。政庁から手前に延びる太い線が、外郭南門から政庁に至る一直線の大道。
 ↓外郭南門復元図

 ↓南門から「壺の碑」が収まる御堂が見える。
 ↓以下、外郭南門から政庁まで一直線に延びる太い道の跡(写真中央に二本の線で区画された部分)。手前の車道が城跡を南北に分断している。南門は車道からずっと手前にある。左端の舗装部分は遺跡の太い道とは違う。
↓中央奥に政庁跡が見える。
 高台の政庁に上る石段
 ↓これが政庁の立体復元模型。
 ↓赤い部分に政庁の門があった。門から正殿に向かって白い砂利道が続く。
 ↓白い道の先に敷石の平らな区画がある。正殿の真前。
 ↓正殿の基礎跡

 ↓正殿から見てその真後ろにも建物があった。
 ↓正殿の東側前方に脇殿があった。西側にもあった。
 ↓政庁の空撮写真
 ↓手前の政庁側から見ている。。写真中央東西に車道が走っていて、その道を奥に行くと近くに「壺の碑」の御堂、外郭南門がある。


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