〇円山公園から高台寺に向かうとこの丁字路にぶつかる。中央が芭蕉庵、左側に西行庵、西行庵の奥に西行堂がある(堂は見えてない)。
↑「西行庵 ‥この地は、西行が蔡華園院(さいけおんいん)を営み、終焉の地であったところと伝えられている(終焉地は南河内の弘川寺だったろう)。明治時代の中頃には荒廃を極めていたが、明治26年に富岡鉄斎が勧進文を書き、小文法師が浄財を募り、当時の京都市長らの尽力により再建されて現在に至る。当庵は、母屋「浄妙庵」、茶室「皆如庵」からなる。茅葺の母屋は大徳寺塔頭真珠庵の別院を移したものである。皆如庵は北野の久我(こが)別邸より移された桃山時代の名席で、円窓床と道安囲の点前座が有名である。毎年三月中旬には、皆如庵で西行忌茶会が執り行われる。願わくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃」
↓母屋「浄妙庵」だろう。右手に芭蕉庵がある。
西行庵の左手に竹垣が続き門が立つ。
↓門前の石碑 「西行法師蔡華園院之□□」
↓門の奥に西行堂が見える。
↓西行堂 堂扉に「花月庵(西行堂)」の案内札が掛けてある。
↓西行像の石碑か。風化が激しい。
↑「花月庵(西行堂) 西行法師は‥鳥羽上皇に仕えていた北面の武士だったが、23歳の時、突然出家した。出家の翌年、1141年から双林寺塔頭である蔡華園院(さいけおんいん)に止住した。
「山家集上、冬歌」野辺寒草といふことを双林寺にてよみにける
さまざまに花咲きけりと見し野辺の
同じ色にも霜枯れにけり
同じ色にも霜枯れにけり
「山家集上、春歌」
願わくば花の下にて春死なん
その如月の望月の頃
その如月の望月の頃
これらの歌は、双林寺境内の桜や草木のもとで詠まれたのではないかと言われている。この花月庵のもとは、蔡華園院の跡地に建立され、その後1731年に‥現在の地に移築再興された。その後1770年、冷泉為村が修繕した。堂内には、西行法師僧像、頓阿法師僧像が祀られ、堂中央に為村筆の「花月庵」と書した横額を掲げる。天台宗金玉山双林寺」
↓茶室「皆如庵」だろう
↓「皆如庵」↓母屋「浄妙庵」
↓「双林寺所有地」 本堂境内からの飛地
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