2016年4月7日木曜日

〇3/21(春分の日)西行の住坊「霊山院」があったという高野山会堂坂(えどうざか)

〇西行が高野山で住まっていたと伝承されている地を探訪する。大会堂(だいえどう)の前から延びる会堂坂(えどうざか)の東側にあったとされる。霊山院という坊だったというから草庵ではなかったろう。西行は高野山で正式な僧職に就いたわけではないが、その歌人としての名声と政治的な実力(例えば平清盛と北面の武士時代からの友人で高野山に賦課された税を免じて貰ったことがある)さらには壇上伽藍整備に当たっての実務家としての功績等が相俟って隅に置けぬ重きをなしていた。これから紹介する大会堂と三昧堂も西行の勧進・尽力で壇上伽藍に移築されたと伝承される。
↓高野山の市街地を貫く大通りから勧学院(右の塀)の横手に入って大会堂に至る坂道。会堂坂(えどうざか)と呼ばれる。正面奥の建物が大会堂。
 ↓大会堂に近づく。前の坂道を会堂坂という。
 ↓大会堂(だいえどう)。西行の尽力でここに移築されたという。
 ↓左から大会堂、三昧堂(小さい堂宇)、東塔
  ↓右手前・三昧堂、左奥・大会堂。三昧堂も西行の尽力でここに移築されたという。西行は三昧堂に籠って修行したという。
 ↓大会堂から見た会堂坂。左の土塀の中が勧学院。
 ↓会堂坂の左側を見る。勧学院と駐車場が見えるが、この会堂坂の東側に西行の住坊「霊山院」があったという。30年ほど西行は高野山に住まったのだから、ここは(始めからここに住まったかどうか分らないが)西行崇拝者の聖地と言える。が、その扱いは全くされていない(西行がこの辺りに住まったことなどほとんど知られていない)。

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