〇平地と違って霧が濃く・風雨もある。月山八合目は地上から見れば完全に雨雲の中にあって見えない状態だろう。ボクは風雨に晒される月山登頂を念頭に措いてなかったので、雨合羽の用意しかなかった。雨合羽ではズボンがみるみる濡れてとても登頂を狙える体制にない。登山者は例外なく本式の風雨対策用の装備をしている。ボクはあっさりと登頂を断念した。
↓数十メートル先を登って行く登山者の一群がすぐに雨と霧の中に呑み込まれかき消されていく。
〇登頂を断念したボクの足元に野鳥が現れた。これは「文鳥?」か。ボクのことを恐れようとしない。見つめているともう一羽現れた。そちらは頬が赤くない、黒。地味だから雌か。多分つがい。ボクの失意を慰労するために月山の神が遣わしてくれた可愛い使者かも、と思いながら下山した。
〇芭蕉と曾良は月山に登頂し、その日は頂上の茅葺掘立小屋(現代の山小屋)で夜を明かし、翌日尾根を縦走して湯殿山頂に至り、湯殿山で御神体を拝んで下山した。そして有名な出羽三山の句を残す。
『涼しさやほの三日月の羽黒山』『雲の峰いくつ崩れて月の山』
『語られぬ湯殿に濡らす袂かな』
芭蕉と曾良は白の死に装束を身にまとって月山に向ったに違いない。月山の頂上で死を体験し、湯殿山の湯を噴き出す御神体に触れて蘇りを体験する、これが出羽三山修験道の神髄。ところで芭蕉は徒歩で麓から山頂までをきわめたのではない。麓からは馬に乗って出発した。何合目まで馬を利用したかだが、案外八合目あたりまで馬で登ったような気がする。今は車道が拓かれているといっても車が登れる地勢だから馬が登れておかしくない。八合目から上に行くとわざわざ「登山口」と称する地点があるくらいだから地勢が激変するのだろう。八合目は標高1400~1500m、月山は1984m。
〇行きつけのコーヒー店「エスト」で、ボクは狭心症・貧血症だから月山登頂は無理かもなどと話をしていたら、マスターが耳よりな案を出してくれた。携帯酸素を持参して登ったらどうやろ。貧血症のボクが月山に登頂するにはこれしかない、そうか携帯酸素を持参するという方法があったか、盲点だった。普通の人の三倍ほど持って上がれば可能となるかも知れない。
0 件のコメント:
コメントを投稿