2016年7月6日水曜日

〇6/18(土)奥の細道紀行「今庄宿」

〇既に実行した奥の細道紀行で漏れた箇所を折を見て探訪することにしている。この週末は「今庄宿」と「木の芽峠」を訪ねることに。
旧北国街道を福井方面から来て今庄宿に入るときは「湯尾峠」を越える。この峠、明治天皇も越えられた。湯尾峠を越えると直ぐに今庄宿。旧北国街道を今庄から敦賀に出るとき越えたのが「木の芽峠」。
芭蕉は今庄宿に一泊した。が、宿名は伝わっていない。
↓今庄の街中に残る旧北国街道筋

 ↑↓上の古い建物の側に「御札場」があった。御札場と高札場は別物らしい。今庄でも別の所に「高札場」跡がある。
 ↓これは旅篭(はたご)建物。そのまんま。
 ↓「旅籠(若狭屋) 江戸時代の純粋な旅篭である。昔は屋根が薄板で葺いており、風で薄板が飛ばないように石が載せてあった。旅篭は本陣や脇本陣とは違い、一般庶民が宿泊する旅宿で、始めは食糧持参し薪代などを払う形態であったが、交通量が増大し庶民の旅行が多くなると、現代の旅館形式に変わった。」
芭蕉もこのような旅篭に泊まったのは確か。ひょっとして「若狭屋」だったりして。因みに旅篭は55軒あったそう。
 ↓「問屋」跡の表札が立っている

 ↓問屋跡表札の右側に建っている旧家
 ↓本陣跡


 ↓本陣跡に建つ明治天皇が宿泊された行在所
↓西(敦賀・京方面)に今庄宿を抜けようとすると 、この道しるべに出会う。


  ↓「左 京 いせ・江戸道」
 ↓「右 京 つる可(つるが)・己可佐(わかさ)道」
 ↓左・湯尾峠 右・木の芽峠(北国街道で敦賀に抜ける)と楫取(かじとり)宿(楫取宿を経由すると北陸街道を辿り栃ノ木峠を越えて余呉・木ノ本に出る)

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