2016年9月22日木曜日
〇《奥の細道紀行》9-18(日)大垣市むすびの地で芭蕉・木因対面像に再会した後、正覚寺にあるという「芭蕉・木因遺跡」を探訪
〇むすびの地・駐車場にセレナを入れたとき、小雨。雨合羽を着込む。油絵の具を捩じり付けた・傍目では浮浪児風の合羽。足元はずっと素足にサンダル。船町通りに面してあるというので探して行くがない。地元の人に訊いても分らない。面妖なことになった。交番があったので入ろうとしたら、その前に附近の案内図があったのでそれで探すと‥あった。正覚寺は行く手数百メートルの地点にあることになっている。注意しながら行くと、遂に標識が立っているのを発見。しかしそこが寺の入口でそこに寺があるとは誰も思わないだろう。通りに面した民家の間に狭い路地があるばかり。路地の奥を覗いても堂塔はない。民家の横を遠慮しいしい奥に入ると、そこに墓標や句碑が林立する遺跡の小区画があった。遺跡まで来ると、向かいに本堂らしき建物がある。小さく粗末。石碑は皆、小さい。その中に芭蕉墓と木因墓を確認。小山になった遺跡の全石碑を撮影した。そして帰ろうとしたら突如血相を変えたおばあさんが出現。にじり寄って訳の分らないことを詰問してくる。何でも亭主が愛知県警を定年退職してこの寺の住職をしている、寺で3000円?詐欺が頻発、アンタはどこから来た?石川県と答えると、ボクの足元(素足・サンダル)を指してそんなモンでか?車を運転して来たと言うと、何処に止めた?むすびの地の駐車場と答えると、ウッと詰まって、まだ何とかかんとか詰め寄ってくる。小雨で着込んだ合羽が手に付いた油絵の具を捩じって汚れまくっており、それと素足・サンダルと相俟って真に怪しげな風体であり、このばあさんが噂の寺院詐欺?のオッサンが我が寺にも出現したと思い込んで眦を決してもあながち無理からぬところはあった。しかし話すうちにボクの博識と上品に気が付いて態度が改まった。亭主が退職金をはたいて建てたという車庫的閻魔堂(十王堂)までボクを案内してその戸を開けてわざわざ披露してくれたり、家の前が今は四車線道路だが昔は二車線分は川で魚が泳いでいたと問わず語りしたり(ボクが船町という細長い町名の区画がここまで続いているのはその川を船が往来していたからなんですねと言うと頷いた)、最後にはニコニコとまた来て下さいネと二度も三度も口にして別れた。変な探訪となった。初め「芭蕉・木因遺跡」を発見して感激し、変なおばあさんの出現で帳消しになり、最後に帳消しが復活したが変な感じが付け加わって今も残っているという変な日であった。とにかくこの日の目的は完遂した。
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