家のものがたり
ここは、国学者・本居宣長(1730-1801)の家です。宣長は、12歳の時から72歳で亡くなるまで住んでいました。宣長の昼間の仕事は医者です。薬箱を持って患者さんの所をまわります。夕方帰ってきてから、町の人や、また全国から訪ねてくる人たちに『源氏物語』や『万葉集』など日本の古い本、たまには中国の本も講釈していました。夜も更けてみんなが帰ったあと、一人で『古事記』を解読し『古事記伝』を書きつづけました。
1階は上がることができます。当時の部屋の静けさ、暗さを体感してください。
また、奥の八畳の間に静かに座って目を閉じてみてください。この部屋は、来客との応接間ですが、宣長の勉強部屋、また大きくなってからは教室にもなりました。受付でお渡ししたパンフレットに、17歳の時に描いた「大日本天下四海画図」の写真が入っていますね。
幅が2メートルもある大きな地図を作製したのはきっとこの部屋でしょうね。
宣長は7人家族。奥さんと5人の子供がいました。お母さんや子供たちはどこでお話をしたり、遊んだり、寝たりしていたのでしょうか。
53歳の時に宣長は二階を増築し、自分の勉強部屋を作りました。窓の大きな明るい部屋です。勉強に疲れたときにならす鈴を掛けたので、「鈴屋」という名前も付けました。
いまは、二階に上がっていただくことはできませんが、家の向かい側、石垣の上から部屋をのぞくことができます。
この家は、1691年に建てられました。人間なら、もう325歳、超高齢者です。百年ほど前に、松阪の人が町の誇りを火事などから守ろうと魚町からこの場所に移しました。たたいたり、飛び跳ねたりせず、やさしくしてあげてください。‥‥
2016年9月29日木曜日
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