《曾良随行日記》『○五日 朝迄雨降ル。辰ノ上刻止。出雲崎ヲ立。間モナク雨降ル。至ニ柏崎一ニ、天や弥惣兵衛へ弥三良状届、宿ナド云付ルトイヘドモ、不快シテ出ヅ。道迄両度人走テ止、不止シテ出。小雨折々降ル。申ノ下尅、至鉢崎 。宿たわらや六郎兵衛。』
〇芭蕉と曾良は柏崎に至り「天屋惣兵衛」方に弥三郎の紹介状を届けて宿など云い付けたところ、芭蕉を扱う態度が悪く、芭蕉はすっかり気分を害して飛び出した。店の者が二度に亘って道まで走り出て止めたが、芭蕉は止まろうともせずに道を急いだ。結局芭蕉は小雨の中を意地で歩き続けて午後六時頃に(「申の下刻」は理屈通りなら午後五時前だが、当時は夏冬で日中夜間の一刻(いっとき・いっこく)の時間は伸縮した。夏の日中時間の一刻は間延びした。日の出から日の入りまでの時間を六で割り、日の入りから日の出までの時間を六で割るからこうなる。一刻は約二時間。「約」を付けるのが正確)次の鉢崎宿(今、米山町)に着いて泊まった。
↓天屋跡は、柏崎市街の「石井神社」の近くだと見当をつけて先ず石井神社を探索。あった。
↓石井神社
↓神社の近くを探索。らしき標識を発見
↓「芭蕉奥の細道紀行・天屋跡」
車はセレナ君 。セレナの直前に「天屋跡」の標識がある
↓大通りまでの間に空き地・駐車場が広がっているが、この空間にかつて「天屋」があったのではないか。
〇発見できないだろうと思っていた「天屋跡」を発見できたので、ボクはすっかりご満悦。
0 件のコメント:
コメントを投稿