2016年10月27日木曜日

〇《奥の細道紀行》2016-10-22(土)加賀市「首洗い池」

〇「篠原古戦場・首洗池  寿永2年(1183)、倶利伽羅の戦いで木曾義仲に大敗した平家の軍勢は、加賀平野を南下し、篠原の地(現在の加賀市篠原町付近)で陣を立て直し、義仲との決戦を図りました。しかし勢いづいた義仲軍を阻止することはできず、平家軍は再び敗れ去りました。このとき、敗走する平家軍で、ただ一騎踏みとどまって、戦ったのが斎藤別当実盛でした。実盛は、老武者と侮られることを恥とし、白髪を黒く染めて参戦しましたが、手塚太郎光盛に討ち取られ、劇的な最期を遂げました。樋口次郎兼光が討ち取った首をこの池で洗ってみると、黒髪はたちまち白髪に変わりました。それはまがいもなく、その昔、義仲の命を助けた実盛の首でした。この物語は『源平盛衰記』などに記されており江戸時代から人口に膾炙されていました。なお、実盛着用の甲冑を、木曾義仲が多太神社に奉納したと伝えられており、元禄2年(1689)芭蕉が『奥の細道』の行脚の途中に立ち寄り、この兜によせて
『むざんやな 兜の下の きりぎりす』
と詠んでいます。
 ↓首洗い池

 ↓左・木曾義仲



 ↓この兜が、小松市の多太神社に奉納されている。今も宝物館にあり、重文

 ↓実盛の首を抱く義仲


 ↓涙を流しているように見える。絶妙
 〇芭蕉句碑がある。
 『むざんやな兜の下のきりぎりす』
 ↓お爺さんが教えてくれた。あそこの休憩室(あずまや)の壁に絵がある。その言葉が無ければ出会うことがなかった絵詞を紹介しておく。



 ↓実盛が白髪を染めている
 ↓手塚光盛に討ち取られた
 ↓樋口次郎兼光が首を洗っている



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