〇右端の建物は「釣月軒」 その奥庭に「無名庵跡」がある。
↓「無名庵跡」石碑が立つ↓「無名庵跡 冬籠りまたよりそはん此はしら ばせを
元禄元年(1688)芭蕉45歳の作。季語「冬籠り」で冬。『笈の小文』の旅・『更級紀行』の旅を終え、八月上旬、芭蕉は久しぶりに江戸深川の芭蕉庵に戻った。門人たちは残菊の宴や月見の宴など盛んに俳席を設け芭蕉を歓待している。こうして年の瀬を迎えた芭蕉が、その折の心境をしみじみと述懐し詠んだ句。『曠野(あらの)』等に所収。「また寄りそはん」「此はしら」の語に、住み馴れた草庵に戻り、いつも背を寄せ親しんだ庵の柱がいとおしく思われ、これからやすらいだ気持で冬籠りしようとする心情がうかがえる。一所不住の境涯を求めながらも、馴れ親しんだ棲家に心惹かれる芭蕉の姿がある。「無名庵」は伊賀の芭蕉五庵の一つ。伊賀の門人たちが芭蕉に贈るため、ここ生家の裏庭に建てた庵で、元禄7年8月15日、芭蕉は新庵披露をかね月見の宴を催し、門人たちを心からもてなした。句意は、「今年は久しぶりに自分の草庵で冬籠りをすることになった。いつも背を寄せ親しんできたこの柱に、今年もまた寄りかかって、ひと冬閑居を楽しむことにしよう。
↓芭蕉の木が綺麗な緑の葉を繁らせているのが印象的
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