〇「元禄2年(1689)この地を訪れた俳人松尾芭蕉は、紀行「奥の細道」に次のように記しています。《殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒気いまだほろびず。蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほどかさなり死す》 この様子から、当時は相当の火山性ガスが発生していたと思われます。また、この地に残した一句を紹介しましょう。《石の香や夏草赤く露あつく》 現在は、ガスの噴出量は少なくなっているものの、硫黄色を残した巨石群と噴気は、往時の雰囲気を漂わせています」
↓駐車場から歩き出す。正面山裾に白く見える所が殺生石のある場所
↓盲蛇石。伝説がある(省略)
↓お地蔵さんが沢山並ぶ
↓お地蔵さんの手がデカい
↓赤とんぼが元気に生きている。ということは、その餌の小虫もいる
↓教伝地獄。伝説がある(省略)
↓やっぱり手がデカい
↓賽の河原
↓赤とんぼが元気
↓殺生石のある所に近づいた
↓注連縄の掛かっている石が「殺生石」らしい
↓芭蕉句碑《飛ぶものは雲ばかりなり石の上》
この句は芭蕉の孫弟子の作で、ここで芭蕉が詠んだのは《石の香や夏草あかく露あつし》だという説がある
↓戻り
↓教伝地獄
↓湯の花採場
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