〇カーナビ通りに進んでも神社が発見できない。行ったり来たりの末にようやく到達。参道入口が想定外にひっそりと引っ込んでいた。
↓「許波多神社」「式内郷社・許波多神社」
拝殿
拝門
本殿は高い瑞垣にしっかりガードされていて、垣の隙間が細いのでほとんどその姿が見えない。時々こういう事態もあるので諦めて立ち去ろうとしたら盛んに呼び止める人が居る。
夫婦でハイキングしてこの神社に立ち寄った風の老年の女性。遠くから来たんですか?と尋ねられ、石川県と答えるとそれは遠い所からと感心して、この神社が昔愛宕山の上にあったことなど熱心に説明してくれる。そして瑞垣の中に入って本殿を見たいですかと訊く。勿論のこと。彼女は鍵を開けて貰えるように頼んで上げましょうとのこと。私はこの神社の娘ですと明かす。そして頼んでくれたあと夫婦で立去った。待っていると老人が瑞垣の入口の鍵を開けてくれた。訊くと何と隠居した宮司さん。鍵を開けた後瑞垣内にボクを独りにしておいてくれた。ボクは本殿の写真を前後左右から存分に撮った。
↓重文・本殿
瑞垣を出た後も宮司さんは色々の話をしてくれた。宇治市には「木幡(こはた)神社」が数多い。「小幡」と云う地名もある。ここの「許波多(こはた)神社」はそれらの惣社的な地位にあるらしい。元は愛宕山の上に鎮座していたが陸軍から境内を火薬庫用地にと要請されて山を下り現在地に遷座した。ここは御旅所だったらしい。どうやらボクは風体も言動も文化財の研究者然としているらしい。
↓「文政六(癸未)歳九月吉日」
宮司さんが石燈籠に幾つか空いた丸い穴の秘密を明かしてくれた。参拝者が空けたのだが、その謂れの説明を受けたのに忘れてしまったのが遺憾。耳が難聴気味でよく聞こえなかったせいもあるかも。
宮司さんは拝殿の前に戻り、かなたの鳥居の前に止めたハリアーに乗って立ち去るボクの姿が見えなくなるまで見送ってくれていた。
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