社殿 本殿は石垣を築いて一段高くなった敷地に建ち、拝殿との間には石階がある。三間社流造、杮葺きで、正面に向唐破風造の向拝を設け、外周に覆屋(おおいや)を構える。庇部分を室内に取り込み、庇を外陣、奥の身舎(もや)部分を内陣とする。外陣は正面中央間を両開き板扉とし、他の柱間は蔀(しとみ)とする。
本殿、楼門ともに吉見氏11代の正頼により永禄11年(1568年)に改築されたもので、正徳元年(1711年)に亀井津和野藩3代藩主の茲親による大修理があるなど、幾度か修築を経たが、楼門の向拝の冠木(かぶき)中央に配した蟇股(かえるまた)や柱頭の手挟(たばさみ)には室町時代の技法が残されている。
拝殿は正徳元年(1711年)の建立で、入母屋造、鉄板葺き、桁行(間口)3間、梁間(奥行)2間。内部は畳敷きで、柱間装置は格子戸および格子窓とする。南正面に潔斎橋、東側面に神饌所が付属する。
文化財 重要文化財(国指定)[編集]
- 社殿3棟(本殿 、拝殿、楼門)
本殿と楼門が室町時代の永禄年間まで遡る数少ない社殿であるとともに、社殿の構成や翼廊をもつ楼門の形式に顕著な地方的特徴を有しており、中国地方西部における神社建築の展開を理解する上で重要であるとして、平成23年(2011年)11月29日に指定された。
島根県指定史跡[編集]
- 鷲原八幡宮流鏑馬馬場
全長約270メートルの馬場で、吉見氏時代に鶴岡八幡宮の馬場を模して作られたもの。日本において唯一原形を留めている馬場であるとして、昭和41年(1966年)5月31日に史跡に指定(同47年7月28日名称変更)された。
中央の土手を挟んで馬場は二車線になっている
重文・楼門
↓覆い屋と重文・本殿
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