延暦年間(8世紀末 - 9世紀初)に月輪山観音寺という前身寺院があったというが、創建の事情は定かでない。その後鎌倉時代末期に建長寺の義翁和尚が大椿山歓喜寺と改め、臨済宗の寺院とした。その後荒廃したが、萩藩2代藩主毛利綱広が亡父の初代藩主秀就の菩提寺とするために承応3年(1654年)から明暦2年(1656年)にかけて再建し、その時秀就の法号にちなんで霊椿山大照院と改めた。
境内の萩藩主毛利家墓所は国の史跡で、初代(萩での藩主の代数は輝元を初代とせず、秀就を初代として数えている)秀就、2代綱広、4代吉広、6代宗広、8代治親、10代斉煕、12代斉広と2代から12代までの偶数代の藩主と夫人や藩士の墓石があり、墓前には藩士が寄進した石灯籠が600数基ある。
重文・本堂
重文・経蔵
重文・書院
書院に安置された重文・赤童子
「赤童子」とは天孫降臨の時の使者として知られている天児屋根命(あめのこやねのみこと)で、春日社の祭神の一つといわれている。‥」
庭園。紅葉が美しいだろう
庭園から見た本堂裏側と経蔵
重文・庫裡
〇外に重文鐘楼がある。
史跡 萩藩主毛利家墓所
〇偶数代の毛利藩主が葬られている。奇数代は、先に紹介した「東光寺」に墓地がある。
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