2010年8月5日木曜日

7/25(日)、熱田神宮(1)

早朝名古屋市内に突入。
西口鳥居。この横の緑蔭深い駐車場に第一号で乗入れ。全日太陽の直射なし。車外に出た途端蝉の声の喧しいこと。

社内に足を踏み入れての第一印象、森が深い

二の鳥居。正門からの参道に出る

手水舎

大楠

森蔭の濃い参道を行くと三の鳥居が見えてくる

熱田神宮の森の中には数多の摂社末社がひっそり佇んでいるが(それらすべては撮影済み)、そのうち吾輩が興味を持った社だけ掲載する。その第一号がこれ。
東八百万(ひがしやおよろず)神社。

こちらは西八百万神社。東日本地区の神々と西日本地区の神々で祭殿を分けているのだろうか、それとも東西どちらでも空いてる社の方にどうぞということだろうか。

西楽所。この向かいに東楽所があったらしい

神楽殿

拝殿


塀垣の隙間から垣間見た本殿。鳥居があり、神門があり、拝殿があり、神殿があるという構造だろう。多分伊勢神宮の本殿も基本的にはこういう構造ではないか。


信長塀。信長が桶狭間に出撃するに当たって熱田神宮に戦勝祈願した、そのとき勝てたら塀を寄進すると約束した、その履行の塀だという。


「熱田神宮宮庁」。ふつう吾輩は神社の社務所の類は撮らない。神社の由緒・性格と関係がないから。ここで写したのは「宮庁」という看板に興味を覚えたから。外にこの呼称を用いている神社は橿原神宮だけ。因みに伊勢神宮が社務所をどう呼称しているか、関心が湧いた人はこのあとの伊勢神宮紀行の記事を読むべし。

緑陰から一の鳥居を覗う

熱田神宮能楽殿

宮川。古風な神社には大概宮川があり、渡るべき宮川橋がある。自然の川が無ければ掘ってでも川(溝)を作る、そうして神域を人域と区別する。橋が大切な役割を果たす。熱田神宮の川は掘ったものか。
楠御前社。昔は大楠を神木として祀っていたのではないか、今は枯れたが。


清雪門(不開門)についてのこの立て看板は読むべし。熱田神宮の性質に関わる重要な記載がある。

宝物館の開館は10:00から。わざわざ待って入館したが、期待を裏切られた。《草薙の剣》のレプリカでも展示してあるかと期待したが、期待したのが愚かだった。展示品は‥‥。宝物館の記念写真はない。

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