2010年8月14日土曜日

8/11(水)、伊豆半島一周、北条氏の故地へ

目覚め、05:20。相変わらず国道のタイヤ擦過音、こんな轟音に曝されながらそれでも眠ったのだろうか。
下田に着く。子供達が小さい頃に家族旅行で来たことがあるが、当時と比べて港が目を瞠るばかりに大整備された。街中を縦横に走ってみた、結論は見るべきほどのものはない。唐人お吉の墓のある観光寺を発見したが朝早過ぎて開いていない。
石廊崎に到達。以前家族旅行で来たときと変わりなし。
東伊豆海岸は暗闇の中で通過したが、西伊豆海岸は堪能。全部観光案内に従って脇道に入ればよかったが、探訪したのは地元の識者に言わせれば半分にも満たない、三分の一程度か。土肥から海岸線を離れ修善寺へ。土肥(とい)峠の路傍の膨らみ地で午睡。昨日も眠くなったときに午睡をとろうとしたんだが、湘南海岸の海側車線はずっと全然Pがない。ないと言ったら本当にない(`´)鎌倉から平塚まで護岸だけしかない、PAどころか、コンビニも喫茶店もない、人家さえ一軒もない。そのくせ交通量が多くて急き立てられる。もうあの道は二度と走らん<`ヘ´>(`´)。修善寺は伊豆の地理的中心。近くに道の駅がありその名が何と「伊豆のへそ」。さらに北上を続け遂に「韮山」に到着。往路で「蛭ヶ小島」発見に失敗したのでちょっと勉強。韮山界隈に北条氏関係のスポットが全部ある。当たりをつけて左ハンドルを切って入り込んだ路地に「守山(もりやま)公園駐車場」があった。観光案内板があり、傍の小山が「守山」でありこの守山の山麓周辺に北条氏一族・源頼朝関係の邸跡、寺院神社が集中している。が、「蛭ヶ小島」が見当たらない。人に訊き聞き「蛭ヶ小島」に到達したときは本懐を遂げたという感じ。頼朝と政子がそれぞれ暮らしていた住居の間の距離は、馬にゆるゆる揺られても30分間程、走らせれば10分間ほどの距離。北条氏の根拠地だった韮山は、三島・沼津とほぼ一体の地。同じく伊豆と言っても、伊東・下田とは地理的性質が違う。
肌を射していた太陽がすっかり傾いた頃、三島大社を目指した。韮山から意外と近い、しかも一筋道。到着は17:30。駐車料金は200円。守衛が言うには「閉門が6時だから料金は要らない。お参りは20分もあればできるから早く行って来なさい」。ええ~ッ20分間でぇ、と言いながら境内全域の写真を撮りまくりながら拝殿で参拝を済ませて戻って来たら丁度20分間。因みに行く先々で無数の神社仏閣にお参りして一体何をお祈りしているのかというと大変シンプル。神仏の名を称えてから「家族みんなをお守り下さい」、これだけ。菅公を祀ってあるともう一言追加。鎌倉旅行からは「○○ちゃんの家族をお守り下さい」も加わった。残り時間で駐車しながら「柿田川湧水群」を検索したら、これが何と三島大社から数kmの至近距離、国道1号線沿い。所在地はその名も「清水町」。柿田川には家族旅行で来たことがあったが、その所在地を沼津だと思い込んでいた。それにしても遥か三島で湧き出すなんて富士山の規模構造は想像を絶する程雄大。湧水群を探訪したときはもう薄暮、写真写りが気懸かり。
これで今回の鎌倉・伊豆旅行に思い残すことはなくなったので沼津ICから東名高速道に乗り入れて静岡・浜松方面を目指した。ら、渋滞。このまま進行しても疲れが増すばかりなので最初のPAに跳び込んだ。愛鷹(あしたか)PA。Net接続は叶わなかったが、ここで泊まるしかない。雨が降り出していた。

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