2017年4月25日火曜日

〇3-26(日)大津市「聖衆来迎寺(しょうじゅうらいこうじ)」重文4棟

〇聖衆来迎寺は湖西をずっと北上し、比叡山に向かうために左折する比叡の辻がある辺りにある。何とこの寺には重文建物が4棟も残っている。天台宗なので、信長の比叡山焼打ちの時に共に焼尽に帰すべきところだったが、不思議と焼かれなかった。その謎を解く鍵も境内にある。
↓重文表門が見える
 ↓「天台宗紫雲山・聖衆来迎寺」
 ↓重文・表門

 ↓重文・本堂


 ↓重文・客殿
 〇江戸時代初期の代表的な客殿で寛永16年(1639)の建築と伝わる。




 ↓重文・開山堂




 ↑↓「宇佐山城主・森可成公之墓(蘭丸の父)」。比叡山焼打ちの時、信長に焼かれなかった理由がこの墓に見出せる。森可成は、信長が勢力を伸張させる過程で率先勇戦して討死にした功臣だった。信長はその息子兄弟を愛して側近の小姓にした。
 ↓森可成の墓の左に小神社がある。
 ↓右・本堂、左・客殿
 ↓左から開山堂、客殿、本堂
 ↓庫裡と式台(玄関)

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