《曾良随行日記》『‥‥
(黒塚の)近所に観音堂有り。大岩石たたみ上げたる所・後ろに有り。古の黒塚はこれならん。右の杉植えし所は鬼をうづめし所成らん、と別当申す。天台宗也‥‥(黒塚に寄るため奥州街道を外れて阿武隈川を供中の渡しで越え、また渡り返して本道に戻り)福嶋へ到りて宿す。日未だ少し残る。宿きれい也(★註2)』
★註1 岩屋は観世寺境内にある
★註2 前夜泊まった郡山宿については「宿ムサカリシ」とメモしたのと対比をなして面白い
〇安達原は、阿武隈川に架かる新大橋を渡った袂にある小丘陵。観世寺はその麓にある。「一隅を照らす」という石碑が建っているから天台宗の寺院。
↓「みちのくの安達ケ原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか 平兼盛」これを歌枕に芭蕉はここを訪ねた。
↓境内には、奇っ怪な巨岩が蝟集している。
↓謡曲「安達ケ原」の舞台だという。
「松尾芭蕉・正岡子規 参詣の地」
↓「名所・鬼婆供養石」
↓「鬼婆の住んだ岩屋・笠石」
↓「芭蕉休み石」
↓「甲羅石」
↓「折り石」↓「夜泣き石」
〇これらの巨岩が、どうしてここに・こんな組み合わせで存在しているのか、不思議といえば不思議。
↓「蛇石」白蛇が棲みついていたという伝説がある。
巨岩の傍に建つ如意輪観音堂
本堂
↓「出刃洗い池」
↓「鬼婆の像」
↓五重塔正岡子規の句碑
「涼しさや聞けば昔は鬼の家」
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