2019年7月5日金曜日

★奥の細道紀行 第42章「関山(せきさん)満願寺」。矢吹宿、泊

曾良随行日記』『(四月)廿一日 ‥‥。(旗宿の)町ヨリ西ノ方ニ住吉・玉 嶋ヲ一所ニ祝奉宮有。古ノ関ノ明神故ニ二所ノ関ノ名有ノ由、宿ノ主申ニ依テ参詣(白河神社・白河の関跡を参詣)。ソレヨリ戻リテ関山ヘ参詣行基菩薩ノ開基。聖武天皇ノ御願寺、正(聖)観音ノ由 。成就山満願寺ト云。旗ノ宿ヨリ峯迄一里半、麓ヨリ峯迄十八丁。山門有。本堂有。奥ニ弘法大師・行基菩薩堂有。山門ト本堂ノ間、別当ノ寺有。 真言宗也。‥‥コレヨリ白河ヘ壱里半余。‥‥‥。矢吹ヘ申ノ上尅(午後3時半頃)ニ着、宿カル。白河ヨリ四里。 ‥‥‥‥‥』
〇芭蕉と曾良は、午前中に旗宿の宿の主が白河の関跡だと教えてくれた関の明神・二所の関を訪れた。が、古関の跡は原野となり草木に埋もれてそれと分らない。それで白河への道は、標高619mもある関山(せきさん)山頂の満願寺を訪れてから白河の町に下ることにした。関山にこそ白河の関があったという説も称えられていたから。芭蕉は白河の関を探訪することを旅の眼目としていたので、探訪し損なって後悔することを懼れた。そこで念には念を入れて関山満願寺探訪ルートも旅程に加えたわけ。
●写真は、白河観光物産協会ホームぺージより引用
↓関山 標高619m
↓関山山頂「満願寺本堂」
今は堂宇は本堂しかない。山門も、別当寺も、大師堂も、行基堂も何もない。
〇関山には「白河の関」はなかったろう。芭蕉もそう感じ得心したことだろう。

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