《奥の細道》《(鶴岡から)川舟に乗つて、酒田の湊に下る。》
『曾良随行日記』『十三日 川船ニテ坂田ニ趣く。』
↑「奥の細道内川乗船地跡 元禄2年(1689)の春に江戸を出て、陸奥から出羽をめぐっていた俳聖松尾芭蕉は、6月10日に羽黒山を下り、鶴岡城下の庄内藩士長山重行宅で地元の俳人たちと俳諧を楽しむ3日間を過ごした。13日にはこの内川の船着き場から船で酒田に赴いた。当時の酒田通いの船は、内川より赤川を経て最上川河口の酒田まで7里(約28km)、ほぼ半日を要したという。
↓電柱に「長山邸跡←160m」。黄色の標柱「松尾芭蕉滞留の地・長山重行宅跡←この先160m右折二軒目」
〇内川は、鶴岡城の外濠の機能も果たしていたそう。鶴岡市街を出ると赤川に合流し、赤川は最上川にその河口で合流していた。赤川は今は、庄内砂丘を切り通して直接日本海に注ぎ込むように流路を変えられている。
2019年11月17日日曜日
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