〇臨済宗方広寺派・大本山。
↓総門、黒門。
三門禅寺なのに・鳥居がある。
↓推河(すいが)大竜王が祀られている。
三重塔。明治時代、京都の篤志家の寄進により建立された。
↓これが、重文・七尊菩薩堂。七尊菩薩を合祀した鎮守堂で、応永8年(1401年)建立。左の覆い屋の中に納まっているのがそう。右の建物は拝殿。
拝殿・正面
以下、覆い屋の中の重文・七尊菩薩堂。
七尊菩薩堂からの眺め。右の大屋根が本堂、中央が開山堂、左が奥山半僧坊権現堂。
半僧坊権現堂の正面に神楽殿がある。少女が二人、舞っていた。
↓ 真剣。カメラ目線。
↓奥山半僧坊権現堂。この寺に祀られる半僧坊権現は開山の無文が中国の元から帰国する際、悪天候の中、無文の乗った船を守護したとされる神だそう。
↓真ん中・手水舎、右・神楽殿。左端に見えるのが、七尊菩薩堂の拝殿。
開山堂の門。勅使門の姿をしている。
鐘楼。人出が多いのは、今日が丁度《大祭》の当日らしく・何かの行列が登場するのを待っているらしかった。虚無僧もいた。
↓開山堂を写したのだったか?
↓ 本堂
↓以下三枚は絵葉書。
本堂・内部。
本堂本尊。釈迦如来坐像と向かって右に文殊菩薩騎獅像、左に普賢菩薩騎象像。
半僧杉
方広寺のホームページによると、2013.10.13方広寺の鎮守さま。伝えによると、無文元選禅師が中国より船に乗船して帰国の折、東シナ海において台風に遭遇されました。風は帆柱を折れよとばかりに吹き荒れ、雨は滝のごとく落ち、波は逆巻いて禅師のお乗りになっている船をいまにも飲み込もうとする勢いでありました。大きく揺れる船のなかで、禅師は一心に観音経をおよみになっておられました。そこに法衣を着て袈裟をまとった、鼻の高い一人の異人が現れて、「わたしは禅師が正法を伝え弘められるために、無事に故国に送り申します」と叫び、船頭を指揮し、水夫を励まして無事に嵐の海を渡って博多の港に導いたのでした。そして、ここでお姿を消されたといわれます。
禅師がこの方広寺を開かれたとき、再びその一異人が姿を現し、「禅師の弟子にしていただきたい」と願い出ました。弟子になることを許され、禅師の身の回りにお仕えしながら修行に励んでおりましたが、禅師が亡くなられた後、「わたしはこの山を護り、このお寺を護り、世の人々の苦しみや災難を除きましょう」といって姿を消したのでした。以来、この方広寺を護る鎮守さまとして祀られ、世の人々の苦しみや災難を除く権現さまとして、ご信仰をあつめております。
毎年10月に御大祭がおこなわれております。
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