ひるがの高原SAで07:00起床。セレナの中で昨日の残りモノを食して高山市に向けて出発。
最初の探訪地は、城址公園にある「照蓮寺」。ここの本堂が重文。いずれ必要な修復事業費用の自己負担分の調達が大変だろうなぁと思った。
次に探訪したのが、高山市国府町の古社群。地名からして律令制国家が成立した頃には・国府の地名が残る辺りに国府・国衙があったろう。高山と古川の中間辺りの宮川(神通川の上流)の両側に展開する広い谷間。阿多由太神社の本殿、新城神社の本殿が重文。これらは順調に探訪したが、三番目の熊野神社・本殿の探訪で躓いた。歩いていた村の古老の道順説明を聞いたが、それでも結局分らず終い。ここ国府には、安国寺の国宝・経蔵があるが、探訪済みなので省略。
高山市最後の重要文化財は、総和町の国分寺本堂。国分寺だから国府にあると早合点していたら、何のことはない・また高山市街に舞い戻った。国府という地名を持つ地と国分寺所在地が離れ過ぎ。だが、国分寺は律令制国家成立の時代から今の地に在ったのは間違いなさそう。今の境内に金堂跡遺跡や七重塔の心礎が残っている。本堂内の仏像を特別拝観した。主なモノは、本尊・薬師如来坐像、近くに在って廃寺となった国分尼寺の元本尊・聖観世音菩薩立像。いずれも重文。円仁の弁財天像もあった。高山市の重文建築物は以上で尽きた。
帰りがけの駄賃に、飛騨市神岡町小萱(こかや)の重文・薬師堂を探訪。これが山中深くの谷奥にあった。地図にも案内標示にも現れない。絶望的になった時、村の鎮守の白山神社が見えた。念のため神社に寄ってみたら、その傍に薬師堂が建っていた。一見してその形の優美さから重要文化財建物と分った。明治維新時の廃仏毀釈で寺院は取り壊されたが、この薬師堂はその美しさからさすがに村人は手を下さなかったと見える。薬師堂に逢えて、ボクは安らかな気持になって家路を辿った。七尾到着15:30。
ヤマダ電機に行き、小型カメラの品定めをした。今手許に在る三台のカメラはいずれも使い物にならなくなったので。小型のは先日京都伏見で撮影中に回路がブチ切れた。中型のは不注意に地面に落としてレンズが致命傷を負った。大型のはフォーカス機能が失われた。
2013年10月7日月曜日
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