可児市「道の駅・可児ッテ」での目覚めが07:30。しかし出発は何故か09:30。出遅れ。目的地が決まったのは・出発直前。大体・可児市の地理的位置が比定できていないので、目的地が決まる訳がない。犬山市・美濃加茂市・土岐市・可児市などの地理を勉強した。
それで・距離が最短で・重文建造物が幾つもある寺として・瀬戸市の山中にある「定光寺(じょうこうじ)」を選んだ。臨済宗・妙心寺派。この寺の見所は幕末近くの尾張藩主徳川義直公・別名「源敬公(げんけい・こう)・源氏の祖先を敬ったのでこの名がある」の「源敬公廟」があること。この廟、三つの門を肇め・合計七つの建造物がすべて重文。寺の本堂と秘仏・薬師如来像も重文という・なかなか重みのある古刹。本尊は・延命地蔵菩薩。廟に参ってみると・遺憾なことに、獅子の門・竜の門・焼香(祭文)殿・宝(祭器)蔵の四つがこっぽりと覆い屋に囲われて屋根しか見えない。築地塀・唐門・公墓は鑑賞できる。源敬公墓の傍・片側に殉死した九忠臣の墓が並んでいる。前列に直臣(じきしん)の墓、後列には陪臣の墓が五基並んでいる。よっぽど人望のあった殿様か。そう言えば・島崎藤村の「夜明け前」の初めの方に・黒船が来て天下騒擾となり・急ぎ江戸に向かうため馬篭宿を通る尾張藩主の大行列の事が出てくるが、あの藩主が義直公ではなかったか。本堂も国宝級に美しい。訪れて好かった。
次に目指したのが・春日井市の重文「密蔵院・多宝塔」。その道中、多治見市内の大交差点に見覚えがあった。そうだ・ここは「虎渓山・永保寺(えいほうじ)」に行くときに通った交差点だと思ったら、まさにそうで・左折すれば「永保寺」の案内標示が出た。折角来たんだ、拝観しようと・ハンドルを左に切った。「永保寺」訪問はこれで三度目。臨済宗・南禅寺派の修行道場。観音堂と開山堂が国宝で・これがまた素晴らしく美しい御堂。何度見ても飽きない、惚れ惚れする。「永保寺」の紹介は写真に限るが、残念ながら大容量SDに収まってしまった。昨日述べた通り・このSDカードは容量がデカ過ぎて旅に携帯したパソコンの手に負えない。写真の処理は・七尾に戻ってから別のパソコンで。
三番目の目的地は、春日井市の「密蔵院多宝塔・重要文化財」。密蔵院は天台宗の寺。多宝塔は意外に大きくて・独特の形。下層・裳腰部分が一見大き目、中層の亀腹(かめばら)部分(普通は白い石灰で鏡餅風に曲線形に固めてある)が木製で木を曲線形に撓(たわ)めてある。
春日井市のヤマダ電機でデジカメ用SDカードの小容量モノをget。これで・持参してきたパソコンでも画像処理ができるんじゃないか。フィリップス社製・髭剃機三枚刃モノの刃が一枚壊れて難渋していたら、替刃を売っていた。飛び付いて買ったが、4,200円とちょっと高かった。
春日井市から名古屋市内に突入。目指すは「名古屋城」。重文は、門が三つと隅櫓が三つ。大都市の真ん中の探訪は苦手なんだが、近くで重文を・外(ほか)に思い付かないから仕方がない。正門前の駐車場に無事滑り込んだ。到着が15:30。名古屋城の閉門は16:30だという。忙(せわ)しないが仕方がない。本丸は威風堂々としていて絵になる。しかし・重要文化財ではない。多分・鉄筋コンクリート造。金のシャチホコが夕陽に輝いていた。石垣が見事。これは築造当時のモノだろう。家康から天下普請を命ぜられた西国大名たちのマークが・各普請持ち場毎にそこの石に刻されているそう。城内はあちこち大工事中で重文・隅櫓は一つ見れなかった。門も一つ、これは時間不足で見るのを省いた。宮殿を造っている。駐車場が便利だったから・また来るかも。
最後に「荒子観音多宝塔・重文」を拝観して今日の終わりにしようと思ったら、向かう途中で日が暮れた。前田利家・犬千代の実家は、ここ荒子の領主だった。
今夜の宿泊地の選定が難問だった。検討の結果、方向は真逆だが、尾西・木曾三川の近くの道の駅「立田ふれあいの里」にした。安全に速く来れる。電波も飛ぶ。この道の駅、今回で三度目(四度目かな?)なので事情はよく分っている。その道の駅でここまで書いて・窓の外を見たら、冗談じゃない・雪が舞っている。今夜は冷えそう。北陸は大雪じゃないか。
2013年12月28日土曜日
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