〇快晴で暑い中、医王寺から下りて鞆の浦の市街地を反対側の沼名前神社まで歩く。
↓一の鳥居
「国幣小社・沼名前神社」
〇この神社は、大綿津見命(おおわたつみのみこと)を祀る渡守(わたす)神社と素佐之男命(すさのおのみこと)を祀る祇園宮が一緒に祀られている。延喜式内社。渡守神社は海上安全祈願の神社で、祇園宮は無病息災を祈願する神社。京都の祇園宮・八坂神社はこの祇園宮から移されたともいわれている。
二の鳥居
随神門
↓神馬舎 神馬(模型)がここに一頭いるが、この神社には驚くべき所にあと二頭いる。
↓お目当ての重文・能舞台を発見
↓能舞台・重文 普段は板で囲われている
↓右・楽屋
〇この能舞台は豊臣秀吉が愛用し伏見城内にあったもの。初代福山藩主水野勝成が将軍徳川秀忠より譲受けたと伝えられる。三代水野勝貞がこの社に寄進し、1738年この場所に設置された。この能舞台は、それぞれの材料に番号や符号をつけた組立式で、戦場にも持ち運べるようになっている。一重切妻造り、こけら葺き
↑↓ 能舞台の向かいにある能見所
本殿境内へ
拝殿
↓拝殿右側に、摂・末社が祀られている
↓右・渡守(わたす)社 左・八幡宮
↓驚いたことに渡守社に神馬舎が付属している。模型の神馬もいる。渡守社の神馬は首を下げている
↓首を上げているこちらの神馬は八幡宮附属の神馬舎にいる。模型
↓拝殿前から神門を見下ろす。遠くの山は仙酔島
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