↓「重要文化財 法道寺多宝塔・食堂」
↓「当寺は、‥天智天皇9年(670)、法道仙人が当山で飛鉢(ひはつ)の法を行じ、その霊験を聞き及んだ天智天皇の勅願によって、閑谷院長福寺として開創されました。この鉢を収めた山を鉢塚山といい、これによつて山号を鉢峯山といいます。南北朝時代には、楠木正成の一族であった橋本正員(まさかず)の菩提寺となりました。その後、8代将軍徳川吉宗の嫡子が長福丸(ながとみまる)と名付けられたことにより、同名であることをはばかり、法道仙人の開基であることから1716年、法道寺と改名しました。往時は多数の塔頭寺院を擁する大寺院でした。
↑境内にある建物のうち、鎌倉時代後期の食堂、南北朝時代の多宝塔は、ともに国の重要文化財に指定されています。また、南北朝時代に制作された仏画「十六羅漢像」(重文)、‥など数多くの文化財を有しています。」
〇↓十六羅漢図・重文
↓楼門を潜って振り返る
↓正面に本堂
大師堂
↓本堂に向って左側に重文・多宝塔が見える
↓多宝塔・重文
↓多宝塔の左側に重文・食堂がある
↓右・食堂、左・楼門
↓食堂前から見た多宝塔
↓食堂・重文↓横門から出る。境内内の右に見える建物は食堂
↓境内の外から見た多宝塔
↓右・多宝塔、左・白塀側は本坊・庫裏等
〇拝観料など当てにする気配なし。しかも豊かそう。秘訣は墓地分譲事業の成功にありそう。広大な墓地がある
0 件のコメント:
コメントを投稿