〇「中山道奈良井宿名所・鍵手(かぎのて)」。徳川家康が宿場町の制度を設けた時、西国大名の謀反に備えて各宿場街に反乱軍の江戸への侵攻を少しでも遅らせるため・道路に「桝形(ますがた)」という見通しの利かない屈曲部を設けさせた。奈良井宿ではそれが「鍵手」と呼ばれる屈曲部になっている。
↓その鍵手に近づいた。道をまっすぐ行くと・建物にぶつかる。そこで道は鍵の手に右折する。鍵手で道路が右折し、そして左折するところ。ここまでで宿場街の3/5から2/3ぐらいを歩いてきたかな。
以下、夕闇が下りてきて・ゆかしげな行燈風の明かりが灯っていることに御注目。
家の屋根は、今も殆どの家が瓦で葺いてない。板葺。昔は屋根に石を並べて大風に備えていた。現代は石を置いてないところを見ると、板葺の材質・工法に変革がなされていると思われる。
典型的な宿屋だろう。
宿屋の家並
街外れの高札場。左に水場がある。
街外れから、水場・高札場を見る。
街外れに近づいてきた。
来た道を振り返った。
戻り道。古風な灯りが点いて旅情を誘う。
〇意外だが、現在の奈良井宿には本陣・脇本陣が見当たらない。これだけ涙ぐましい努力で古い街並みが保存されているのに、肝腎の本陣・脇本陣を抹消するということはなかろう。奈良井宿は大きな宿場町だったのに、本陣・脇本陣はなかったんだろうか。
〇奈良井宿の最後は「鎮神社」
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