「閑谷学校」は、江戸時代初め・岡山藩主・池田満政公が備前国の閑(しず)かな谷間を選んで開校した。藩士の子弟に主に朱子学を学ばせるためだが、月例の特定講義には・向学心のある農民の聴講も許した。
「はん池」と呼ばれる池。この池を石橋で渡って登校する。
石橋を渡ると真っ直ぐに学校まで道がついている。左に見えるのが国宝・講堂。道をまっすぐに行くと、この門に行き当たる。校門。この門を潜ると正面に聖廟・孔子廟がある。
校門の右側にある門。この門を潜ると、受付があり、正面に閑谷神社がある。
閑谷神社・全景。
↓左端・校門。右・国宝講堂。
閑谷神社・神門
拝殿
拝殿・左、本殿・右
左・校門、その右・公門(岡山藩主が臨講する時に潜る御成門)、さらに右・飲室(いんしつ)門(学生・聴講庶民らが潜る)。
聖廟の門と門前左右に植わっている楷(かい)の木。
聖廟
↓楷の木
黄葉した楷の木(絵葉書より)
聖廟。左・拝殿、右・大成殿
孔子像は普段は厨子の中に祀られている。
聖廟から見た校門国宝・講堂。この講堂の美しさは類稀。
講堂・内部
習芸斎。講堂から渡り廊下で繋がっている。五列に積み上げてあるのは円座。奥に見える部屋が飲室。
飲室。生徒達が湯茶を喫する。囲炉裏が切ってある。
小斎。藩主が休憩する。
小斎に対応する公門。
公門前から・聖廟前の校門、受付のある神社門を望む。左手の山は椿山。
講堂の前に小斎。
習芸斎・入口。
左端に飲室がある。
飲室門。生徒や聴講する農民が潜った。
石塀
左から飲室、習芸斎。右後方に講堂の屋根が見える。
文庫。
〇国宝・講堂以外の建造物・施設はすべて重要文化財。石橋・石塀・文庫もすべて。
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