〇国道19号線は今は木曽福島の市街地を迂回してトンネルを潜って行く。このバイパスを通らずに旧道に入って市街地の方に走ると、街の入口に大きな門柱が建っている。この辺りに「福島関所跡」があるんじゃないかと見当をつけてセレナを停めて探索すると。
関所跡に登る坂道があった。↓「国史跡・福島関所跡」「福島関所の創設された年代は明らかでないが、中山道の開かれた1602年を余り下らない頃のことと考えられ、中山道の重要な守りとして碓井・箱根・新居と共に当時天下の四大関所と称していたものである。‥‥この関所は、各藩境等に見られる番所の類と機能を異にし、特に「女改め」と「鉄砲改め」とに重点が置かれていた。中山道が東海道と共に当時江戸と京都とを結ぶ幹線の道路とされていたことや、「女改め」の手形の本紙はこの関所に留め、下り(江戸へ向かうもの)のものについては、ここから碓井関所に向けて「為替手形」を発行する、とされていたことなどからみて、この関所が、徳川幕府による交通政策上如何に重大視されていたかがうかがわれる。廃関後、関所の諸施設は全部取り壊されてしまったので、当時の面影は殆どとどめていなかったが、昭和50年夏行われた発掘調査の結果、‥‥関所遺構の全容を確認することができた。‥‥」
↓復元図を見ると、関所の下側・木曾川沿いの敷地は、旧国道の拡幅整備のため大きく削られたことが分る。上の細い坂道写真に写っている細い道の部分は、往時はずっと左側(木曾川が流れている)に広がっていて、その端は木曾川に落ち込む崖になっていたらしい。
「福島関所」石碑
↓東門から西門を見ているらしい。
↓左の芝生の上に「東門跡」の表示石が置いてある。そうすると奥に小さく見えているのが西門か。西門の左側に建っている番所建物は、上の復元図と照らし合わすと本来は東門標識の近くに建っていたことになろうか。
昔からずっと流れ続けている「関所水」
門は西門か。東門は手前にあった。番所建物は東門の近くにあった。
この門は、関所跡見学受付所の前にある。往時はなかった。
番所建物。
↓「上番所」。関所上級役人の仕事場。
↓「下番所」。下級役人・番人の詰める間。
↓お勝手
下番所に示威のために備え付けられた取り方七つ道具。
安藤広重の「福島宿」図。
福島関所の立体模型。
西門を反対側から見る。この門を向こう側に潜ると番所建物があり、さらに東門が在ったことになる。
福島関所跡から見下ろした風景。手前に旧国道が走り、その真横に木曾川が流れる。市街地の中心は写真に写っていない左側に展開する。
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