〇福島関所・福島宿の前に宮ノ越宿がある。宮ノ越こそかの木曾義仲が育ち・平家討伐の旗挙をした地。
〇ここで、木曾路の宿場町の地理的知識を頭に入れておくのは木曾路の旅を楽しむのに大いに有効なので「中山道・木曾十一宿」を列挙しておく。太字で示した三宿(奈良井・妻籠・馬篭)以外は宿場町としての面影はほとんどない。
①贄川宿、
②奈良井宿、
『奈良井と次の藪原との間に「鳥居峠」があり、この峠を分水嶺として奈良井側に流れる水は犀川・信濃川となり、藪原側に流れる水は木曾川となる』、
③藪原宿、
④宮越(みやのこし)宿、ここは「木曾義仲」ゆかりの地。
『福島宿への入り口に「福島関所」があった』、
⑤福島宿、
『次の上松宿との間に「木曾の桟」が在った』
⑥上松(あげまつ)宿、
『上松から少し南下すると「寝覚ノ床」がある。天下の奇勝の一つ』、
⑦須原宿、
⑧野尻宿、
⑨三留野(みとの)宿、
⑩妻籠(つまご)宿、
⑪馬篭(まごめ)宿、
『次の追分宿との間に旧中山道が綺麗に残り、追分に近づくと石畳道が残る』
↓○「木曾義仲・旗揚げ八幡宮」
↓「旗揚八幡宮由来 幼名を駒王丸と名付けられ養父中原兼遠によって育てられた。義仲公は、このあたりの平地に城をかまえ八幡宮を祭ったと伝えられている。十三歳にして元服、木曾次郎源義仲と改め、1180年一千余騎を従え、ここに平家打倒の旗挙をした。時に義仲二十七であった。以後旗挙八幡宮と呼ばれている」↓この大ケヤキは樹齢約八百年、木曾義仲の時代より生き続けていると伝えられる。落雷により傷ついたが今も生きている。
旗挙八幡宮
↓「木曾義仲公・館址」石碑。
館址風景。両側に山が迫り・狭い谷間が続く。
花ショウブが咲いていた。
セレナ君。老骨に鞭打って走り続けてくれる・健気な姿を、木曾義仲公の故地で撮影せずにはおれなかった。
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