〇8/10(土)、朝七時半に目覚め。いつもより遅い。それだけ疲れていたんでしょう。やっぱり暑い一日でしたが、ボクは大山の中腹にいたので死ぬほどのことはありませんでした。しかし予定では伯耆国・大山寺関連の「大神山(おおかみやま)神社」と「阿弥陀堂」の探訪は午前中に終えるつもりだったんですが、午後二時過ぎまでかかってしまいました。空気が薄い上に・ボクの足ですから、登るのには人の倍以上の時間がかかるのです。それでもとにかく初志は貫徹しました。特に阿弥陀堂には感動しました。御堂も美しいものでしたが、中の阿弥陀三尊像が素晴らしい。いずれ御堂の修理が必要な状態ですが、その際・棟札などの一級資料が確認されれば・仏像と共に国宝に指定されてもおかしくありません。中尊の阿弥陀仏は坐像でサイズは丈六に近い。脇待仏は観音・勢至の菩薩立像で等身大。それが、姿・バランスが素晴らしく、気品がある。何者が作ったんでしょうねぇ。驚きでした。感動で、疲れが吹っ飛び‥‥はしませんでしたけどf(~_~;)それほど足が疲れ果てました。出雲大社は明日に回して、安来市の「清水(きよみず)寺」を探訪しました。これが予想を遥かに超えた大寺で古刹、そして山寺。この寺がボクの目を一瞬輝かせ、そして深く失望させました。仏像五体が重要文化財で・宝物館に収蔵してあると案内板にありました。ところがよく見ると、開館は春・秋二回で、一週間程づつと書いてある。団体は別扱いとある。この最後のくだりがボクの失望に怒りの小火を点火しました。やることがミミッチイ。本堂境内まで登って、さらにその上にある多宝塔・鐘楼、遠く離れている仁王門などはオミット。いつもならいくら足が疲れていても、ここまで来たものは仕方がないと思って無理しても歩いて究めるんですが、宝物館でガッカリさせられたので頑張り抜く気がなくなって中途半端で下山しました。その分、時間が少し空いたので、程遠くないところにある「雲樹寺」に寄りました。この寺の・大きくはない四脚門が禅宗寺院特有の性質をしっかりと具備しているというので重要文化財なのです。この寺は美しい寺でした。夜は、宍道湖の西端にある道の駅「湯の川」に泊まりました。前に来たときは、ここでブログを認めた記憶があったんですが、電波は通じるのに自分のブログに到達できないのでした。
〇8/11(日)。今朝は、六時半に目覚め。八時前には、狙っていた「大寺薬師(おおてらやくし)」の門前に立ちました。場所は、出雲大社の東・手前、平田市にあります。大寺とは名ばかりで、小門と宝物館しかない。ところがこの宝物館の中身がとんでもなく凄い。中尊・薬師如来坐像の両脇に二体ずつ・合計四体の聖観音像が立っている。そのうち直ぐ脇に立つ二体は日輪と月輪をそれぞれ捧げているので、日光菩薩と月光菩薩に違いない。そして等身大超の四天王立像が二体ずつ左右に居並んで立っているという構成。これら合計九体の仏像が揃って重要文化財なのだ。中でも凄いのは四天王像達。鑑定では奈良時代の作で、平安時代作の如来・菩薩像より古いとされているが、古いのに四天王像の方が一見して素晴らしい。奈良・京都の名刹寺院にある一級芸術作品の四天王像に比肩する。何故このように優れた仏像達がこの地にあるのか。それを解き明かす資料が全く残されていないので謎のまま。伝承では、近くの300mの山上に大寺があったが、山津波で流されて消えた。後に村人達が田の中から仏像達を掘り出して「大寺薬師」と称して大事に守って来たそう。四天王像は、中央の仏師が彫ったものではないかという説がある。宝物館の片隅に掌に載るサイズの十二神将もガラスケースに入れて保存されている。こちらの方は一体足りなかったのを、文科省から派遣された仏師が欠損した一体を彫りあげて十二体にしてくれたそう。実はボクが大寺薬師の門前に立ったのは今回が初めてではありません。二、三年前にもここに来たのです。その時は携帯電話を持たずにいたので、宝物館のお守りをしている人に連絡を取りようがなくて涙を飲んで引き下がりました。今回は携帯持参なので、門の貼り紙に書いてある電話番号に電話しました。が、留守。丁度、参集所に掃除に来ていた檀家の二人衆が気の毒がって、ボクを宝物館守りの人の家まで案内してくれましたが・留守。檀家の人は、鍵は二つあると言って、もう一つの保管者に電話してくれましたが、その人は葬式があって家に居ないそう。大寺薬師には檀家があるが・住職はいないそう。宝物館の管理は島根県から委嘱された民間人がやっている。目と鼻の先にある家の人。ボクは親切にしてくれた檀家の人二名に御礼を言って、出雲大社に向かった。平成の大遷宮を終えたばかりの本殿を参拝して、それからもう一度携帯電話をしてみるつもりで。
出雲大社到着は八時半頃か。境内の何処にも工事中の醜い覆い屋がない。大修理を終えた本殿境内内の殿舎は巨大な本殿をはじめとしてすべて美しく輝いていた。このあと直ぐに本殿境内以外の摂・末社などの修理工事が始まるそうだから、ボクは運の好いときに参拝してきたもの。
十時半、大社の駐車場から電話。空しい呼出音が鳴り続けるかと諦めかけた時、声がした。朴訥で誠実そうな感じ。直ぐに話が通じました。ボクは大寺薬師の門前に着いたらまた連絡しますと言って大社を後にしたのに、門前に着いて見ると、宝物館守りのおじいさんがもう重い鉄の扉を開けてくれていた。感動の時間を過ごした。大寺薬師の仏像達に、ボクはとうとう会えたのだ。昨日の清水寺の仏像達は元々会う気がなかった仏像達。今日の大寺薬師の仏像達は会える日を夢にまで見た仏像達。清水寺の失望はもうどうでも好かった。最高のクライマックスはボクの次の一言から始まった。「撮影禁止の文字が見当たりませんが、撮影しても好いんですか」。ボクは全く期待などしていなかった。ところがおじいさんの口を衝いた言葉は意外なもの。「撮影しても好いですよ。自由に写して下さい」。ボクはさすがにこれはダメだろうけど一応聞いてみようと‥「フラッシュはだめでしょうねぇ」。すると「フラッシュも好いですよ」「県の人からフラッシュ禁止と言われていませんから」。ボクは大喜びでフラッシュを焚いたり焚かなかったりして撮影した。至福の時、とはこういうひと時のことだろう。ボクはこのあと有頂天になっていたと見えてしくじりました。出雲市から西へ西へひた走ろうとして「山陰道」に乗ってノンストップで山口県を目指したら、山陰道は出雲市が西の終点でした。出雲市から西はまだ未完なのです。それを知らずに終点から乗ったもんですから、当然ながら逆戻りです。気付いてからは無念の涙を流しながら走りました。しかも無料区間ではなくて・有料区間でした。無駄骨を折りながらまた出雲市から西に向かって再出発。大田(おおだ)・江津(ごうつ)・浜田・益田と辿り、益田で予定を変えて・海岸線コースをそのまま萩・長門と伝って下関に至るコースを捨てて、山中の山口市に至るコースを選びました。そして山口ICから中国道に入り、今・下関の手前の王司というPAに居ます。本当は福岡手前の古賀SAまで行こうと思ってたんですが、目に疲れが来ているようなので自重しました。海岸線を辿る予定を急遽変更したのは、今日・日曜日のうちに自動車道に入っておけば、明日平日の高速走行分にも週末五割引の特典が適用されると打算したからです。明日はこのまま下りずに、佐賀経由で佐世保まで自動車道を走って行くつもりです。
〇8/12(月)。今日、四万十西土佐で暑さの日本記録が更新されましたね。41度C。40.9度Cの記録を破られた熊谷と多治見は口惜しいでしょうね。ボクは今、長崎自動車道の上り・金立(きんりゅう)SAに居ます。久し振りに食堂で夕食を摂りながら、NHK七時のニュースを見てました。方や東京は豪雨騒動。異常ですね。アンタのやってることはどうなのよ(`´)と突っ込まれそうですが、ボクはチョットだけ変ですかねぇf(~_~;)。
今朝は06:30に目覚め、07:00に下関手前の王司PAを出立。壇ノ浦を渡って九州道に入り、鳥栖JUCで長崎道に入り、武雄JUCで西九州自動車道に入って佐世保へ、そして佐世保から下道を松浦半島北端に至り、平戸大橋を渡って平戸へ、というコース。「佐世保みなと」ICに下りたのが10:00。ボクの大好きな護衛艦が居ましたよ。軍艦というよりも・護衛艦という方が男らしくて恰好いい気がするから慣れとは不思議なもんですねぇ。中国との最前線に近い軍港なので、舞鶴よりも顔ぶれが充実しているような、しかし物足りないような、って感じ。あれでは一艦隊の編成しかできない。ボクとしては、せめて三艦隊分くらい並べておいてもらいたい。佐世保重工も相変わらずデッカイ造船所ですね。活発に動いていました。佐世保の人口260,000人。増えもせず・減りもせず。佐世保の街から下道を北に走って平戸へ。平戸市は平成の大合併で・松浦半島の北端・田平(たびら)地区と平戸島、その外・三島が一緒になった。人口33,000人、合併した地域のかつての合計人口は55,000人だったんだから、完璧に過疎地。先ず、田平教会・重要文化財を探訪。それから平戸大橋を渡って平戸市街地に入り、暑熱の中、山の上のザビエル記念教会その他を探訪。さらにセレナに鞭打って島内の宝亀(ほうき)教会、紐差(ひもさし)教会を探訪して平戸島を後にした。とにかく念願の平戸島探訪を果たしたので一応満足。ただ狙っていた重要文化財教会は殆どが佐世保からフェリーで五島列島に渡り、あるいは黒島という小島に渡らねばならず、チョット残念。今日は佐賀市に戻って来たところで日が暮れました。明日は佐賀県の下道に下りたところから探訪を始める予定です。肥前佐賀と筑後地方で一宮級神社と幾つかの重要文化財を訪ね、その後は一気に九州自動車道で八代海沿岸まで南下し、そのまま海岸線を南へ南へと走って薩摩半島・大隅半島を一周して帰るつもりです。薩摩・大隅半島は大きい故に難物です。見るべきモノはそんなにない。そんな半島めぐりをどうしてするのかというと‥‥行ったことがない・それが癪に障るというだけのこと。本当は屋久島に渡り・縄文杉に会うことが悲願だったんですが、縄文杉に会うためには丸一日がかりの登山をしなければならないと分ったので完全に諦めました。ボクの様な心臓疾患を抱え、貧血症の人間には到底無理だからです。それではまた(^.^)/~~~
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