2013年8月9日金曜日

〇8/8(木)京都府丹波地方、兵庫県但馬地方を探訪して周る。

朝05:30目覚め、07:00出立。
最初の探訪は、京都府船井郡丹波町の「大福光寺」。本堂と多宝塔が重要文化財なので重視した。着いて見ると、児童公園みたいな所に素敵な本堂と多宝塔が建っている。鎌倉後期の作。無住。寺ではない。小さな公園と言うしかない。気楽でしみじみとした・最高に近い重要文化財との出会い。
同じ丹波町の「九手神社」へ。本殿が重要文化財。室町後期の作。
福知山市の「島田神社・本殿」室町後期建造の探訪に。これには難儀した。何せカーナビに、鳥居マークさえ載ってなかった。村人に訊いたら地名を並べられてチンプンカンプン。「こんもりした」という一言だけが頼り。ほぼ諦めかけた時、こんもりした感じの地形が目に入り・寄ってみると・そこが目当ての島田神社。セレナも入れない道を歩いて辿った。執念勝ち。
兵庫県朝来市に「粟鹿(あわが)神社」を探訪。但馬一宮だから。
兵庫県養父市八鹿町に「名草神社」がある。拝殿と本殿が重要文化財なので重視した。行ってみると妙見山という標高800mの山頂にもろに登る。朱塗りの三重塔・重要文化財までが山頂に建っていた。拝殿は江戸中期、本殿は江戸後期の建造。山を下りる途中に「妙見山・日光院」という寺があった。明治維新前は、この寺と神社は神仏習合していたらしい。修験道の世界があったればこそ、登るのさえ過酷な山頂に・荘厳な堂宇が建てられ維持された。
兵庫県豊岡市出石町に「出石神社」を探訪。丹後国一宮だから。与謝町の「籠(この)神社」を丹後一宮とする説もある。ついでに「出石城」を探訪。城山を歩き回った後、夕暮れ近い出石の街中も歩き回った。禁門の変で敗れた長州が朝敵になり桂小五郎が京都を脱出して出石に潜伏した、その潜伏先まで突き留めた。町の人に聞き聞き苦労して辿り着いた。おばちゃん達は皆親切だった。足を棒にしてセレナに戻った時はもう夕暮れだった。道の駅を探したら、養父市にまで逆戻り。電波は通ぜず。

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