2013年8月30日金曜日

〇知覧・特攻隊員の母=「鳥濱トメさん」。その笑顔は、観世音菩薩のよう。

 ↑「鳥濱トメ」さんの営んでいた「富屋食堂」。以下、前掲「新編・知覧特別攻撃隊」から引用。『知覧町中部にあった鳥濱トメさんの富屋食堂は、知覧分教所が開設されて以来、軍の指定食堂になっていました。特攻隊員として知覧飛行場にきた隊員たちは、鳥濱トメさんのことをいつしか「おかあさん」と呼ぶようになっていました。昭和20年3月、沖縄方面に対する特攻作戦が始まってからというもの、鳥濱トメさんは家財道具を売ってまでも、最後の思い出にと富屋食堂を訪れてくる隊員たちをもてなしたのです。』
 ボクは話に聞く・特攻の母「鳥濱トミ」さんの姿を、ここで初めて写真で見た。その笑顔は、観世音菩薩のようだと感じた。ボクが特攻隊員だったら、この人に「それではお母さん、行って参ります。さようなら」と挨拶をして出撃しただろう。

鳥濱トメさんの語り残した話。「隊員の人達の多くは、戦争をしてはならない、平和な日本であるように、ということを言っていました。そして、そのことをできるだけ多くの人々に伝えてほしいとも言っていたのです。みんないい人達でした。みんな極楽に行く人達でしたから、とてもやさしいんです。全部わたしの子供にしたい思いでした。自分の母の代わりになってくれとほとんどの隊員の人達が言いました。長野県の下平正人さんも、「おかあさんと呼ばせてくれ」と言っていました。当時十六歳だったと思います。かわいかったですよ。」
〇知覧で特攻隊員たちと会った話の報告をしたら、何やら肩の荷が下りた思いがする。

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