2013年8月15日木曜日

〇終戦記念日と知らずに知覧の「特攻隊平和祈念館」を訪れた。今夜の泊まりは大隅半島鹿児島湾側・道の駅「ねじめ(根占」)

今朝は道の駅「いぶすき(指宿)」で07:30に目覚め、08:30に南九州市・知覧に向けて出発。知覧ではまず武家屋敷跡見学。伝統的重要建造物群保存地区。宿場町として好く保存されている例は幾つか観ましたが、武家屋敷跡としてこんなに石垣組みや武家庭園がきれいに保存され、しかも見事に繋がって保存されているのを見るのは初めて。秋田県角館市の武家屋敷跡は、小藩の貧相な屋敷群で見栄えがしなかった。印象が薄い。次に同じ知覧地区にある「特攻隊平和記念館」を訪れたら大いに予定が狂った。正午に黙祷を捧げる段になって、ボクは今日が終戦記念日に当たることに初めて気付いた。長旅に出ると、日付も曜日も飛んでしまう。本当は昨日訪れる予定が偶然今日になった。知覧の「特攻隊平和祈念館」を今日訪れたことに何か因縁めいたものを感じた。おじいちゃん説明員の・特攻隊員のエピソード話を30分間聴いた。30分間の話が終わると、聴衆全員から自然に拍手が起こるという内容の話。その中に一つの母子の手紙のやり取りの話が出た。おじいちゃん説明員ーー「これは石川県七尾市出身の特攻隊員の話です。明大生でした」「本人は立派な長文の遺書を遺しています」「お母さんからの手紙はわずかに六行です。最後に必死にお母さんが息子さんに伝えようとしたことは、今はの時は必ず南無阿弥陀仏を称えておくれ、きっと称えておくれ、私も毎日懸命に称えます。そうしなければ、阿弥陀様のもとでまたお前と一緒になることができません」というものだったそうです。話の後、ボクはおじいちゃんにその特攻隊員の名前を訊きに行きました。即答で「石倉三郎です」。ボクが「名前からして多分石崎の人だ」と言うと、石崎が漁師町であることも御存知でした。この記念館、特攻隊員として散った・たった一名の方の分でも、その氏名が分らない、写真・遺書・遺品などが無いなどということがあってはならないという鬼気迫る尊崇の念・執念が感じられます。しかも皇国史観や非武装中立的反戦平和思想の臭さがありません。小泉純一郎氏がこの知覧の特攻隊平和祈念館を訪れて感動し、国のために命を捧げてくれた若者達に・国が誠の哀悼を捧げるのは当然のことだと割り切って、中国指導部の反対もものかわ総理大臣として靖国参拝を実行し、その在任中・中国との外交断絶状態を招いたといういわくがあります。特攻隊員達は、今の高校二、三年生が結構いたんですねぇ。この記念館で、終戦記念日の今日の時間を傾け過ぎて、しかもその後の道中・疲れて道路脇のPでかなりの時間眠ってしまったので、肝腎の今日の予定の大隅半島周遊はまことに中途半端になりました。まだ鹿児島湾側を南下中で、最先端の佐田岬にはあと一時間の行程の道の駅「ねじめ(根占)」に入り込んでいます。人家も殆どない寒村でメール・ブログが繋がるなどとは全然期待していなかったんですが、モノは試しとやってみたら両方とも感度良く繋がりました。分らんもんですねぇ。半島先端部を太平洋側に回り込むと「内之浦宇宙研究センター」があるんですね。打ち上げセンターが見えるんですかねぇ。とにかく明日はそこを通って行き、志布志湾岸を伝って都井岬に寄り、野生馬に逢えたら会って、その後は日南海岸を北上します。日向国一宮「都農神社」探訪は外せないと思うんです。それでは(^.^)/~~

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