〇行く先の正面が「特攻平和観音堂」だと知らずに長い参道を歩いて行くと、一式戦闘機・隼が展示してあった。
若い特攻隊員の像があった。台座に「とこしえに」と書いてある。特攻隊員の像の道を挟んだ向かいに・母の像が立っている。台座の脇に「やすらかに」と書いた石が添えられている。
「大刀洗陸軍飛行学校・知覧教育隊」・右、「第四〇教育飛行隊・西部123部隊」・左の門柱が保存されている。
参道
「特攻平和観音堂」があった。知らなかった。お参りした。
観音堂・本尊
観音堂の横に「三角兵舎」があった。
「三角兵舎は特攻隊員の宿舎でありました。敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、屋根には杉の幼木をかぶせ擬装してありました。各地から集まった隊員は二~三日後には雲のかなた沖縄の空に散華されました。出撃の前夜は、この三角兵舎で壮行会が催され、酒を酌み交わしながら隊歌をうたい、薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙をしたためて、出撃して征ったのです。ここに三角兵舎を復元し当時をしのぶよすがとするものであります」
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