今朝は八時前に出立。
①今朝第一番の探訪先は「如意寺」。神戸市北区櫨谷に在る。「櫨谷」は難読地名。ハセタニと読む。バスの通れない細い谷道を行くとやっとたどり着く。観光寺院になることを意識的に拒絶している。しかし写真撮影までを不許とするような非常識な住職ではない。本堂は室町期に失われたまま再建されなかった。しかし本堂以外の文殊堂、三重塔、常行堂は室町期に再建されて現在まで護持されてきた(三堂塔はいずれも重文)。それらが一見して文化財として超一級であることが分る。三堂塔がまとまって三つとも国宝になってもおかしくない。それにしてもこれだけの堂塔をどのようにして維持してきたのだろうか。境内一円、芝や木が住職の手で綺麗に手入れされているのは分る。金がかかる問題をどうやり繰りしてきたのだろうか。ここでボクは俗世を離れて一時間余、ゆったりと時を過ごした。写真も豊富に撮った。いつの日か遠路を厭わずまた再訪する値打ちがある。
②三木市の「東光寺」へ。山を越えて行く。本堂が重文。多宝塔もある。
③三木市で歓喜院聖天堂(かぎいんしょうてんどう、重文)にも会っておこうと訪ねた。が、分らない。村人のじいちゃん・ばあちゃんに懇切に教えて貰ってたどり着いた。
④三木市で天津神社にも訪れようとした。本殿が綺麗で重文(室町期に村人らで建てたという)。が、ナビが案内した地区に在ったのは小っちゃな名も無い村社。この社でボクは不覚にも下腹の具合を悪くしてヤバくなった。神様の目の届かぬ所を探して已むを得ず野糞をした。落葉が沢山あったので分らないように被せておいたが、神罰が当たることを今日は覚悟した。ところが罰(ばち)が当たるどころか、数百メートル違いの場所に首尾よく天津神社を発見し、重文本殿を拝観した。村社の神サンを舐めたと思われるが、神罰はやっぱり降った。それは後の話。
⑤小野市の「浄土寺」へ。再訪を期していた。この世の浄土。大仏殿様式の金堂(国宝)の中に巨大な阿弥陀三尊像が金色に輝いて立っている。本尊像は5.3m、脇侍像(勢至・観音菩薩像)は3.★mある。快慶の作と云うから鎌倉時代の仏像。阿弥陀三尊像も国宝。金堂内は内陣も外陣(げじん)もない。三尊像が西のしとみ戸を背景にして中央に立っている。参拝者は自由に四周を巡れる。夕暮れが近づくと西陽が射しこんで三尊像が逆光の中、西方浄土から迎えに来て下さったかのような観を呈する。ここでもボクは一時間近くねまっていた。浄土寺の境内は建物が素晴らしい。重文建物が、薬師堂、八幡神社拝殿・本殿等あり荘厳。
⑥加東市の「朝光寺」へ。前回訪れた時は、国宝本堂が修復中で会うことができなかった。今回ようやく本堂を拝観できた。鐘楼・重文、多宝塔、仁王門もある。
⑦加西市の「一乗寺」へ。西国26番観音札所霊場。三重塔が国宝。他に重文建造物多数。再訪だが、今回は気もそぞろで感動が薄かった。この寺特有の石段登りの途中、とうとう罰が来た。コンビニで買ったリンゴ水を暴飲したせいか下痢気味になり絶え切れなくなった。とうとう神罰が来たぁと思ったが、耐え抜いて下山してトイレに飛び込んだ。罰はこれで終わったわけではなかった。
⑧加西市北条の「酒見寺」へ。極彩色の重文・多宝塔を行きがけの駄賃のつもりで見に寄った。到着した時はもう夕方六時近く。ここで信じられないものを見た。酒見寺の巨大さと荘厳華麗さ。ここにどうしてこのような大寺が存在し得るのか。隣接の県社・住吉神社もまたとてつもない規模と壮麗な神社。北条と云う町は一体どういう町なのか。
〇今夜の宿泊地にナビに従い中国自動車道に乗って宍粟市の道の駅・山崎までやってきた。今日は一日東奔西走して行ったり来たりだったので、泊り場所は絶対西に行くと決めたらこうなった。ところが、山崎と云う道の駅は何度行き来して探索しても見つからない。廃止されたのではないか、ボクのナビは古いのを半額で買ったから情報が現実と違っていることがある。宍粟市山崎は既に姫路の北に遥かに離れすぎているのに、結局辿り着いたのは播磨国一ノ宮「伊和神社」のある一宮町。姫路よりもむしろ鳥取に近いんじゃないかとボクには思える。罰はやっぱり当たった。事故でなかったのが神のお情けだったか。道の駅到着、晩八時頃。
宍粟市も難読地名。シソウ市と読む。
③三木市で歓喜院聖天堂(かぎいんしょうてんどう、重文)にも会っておこうと訪ねた。が、分らない。村人のじいちゃん・ばあちゃんに懇切に教えて貰ってたどり着いた。
宍粟市も難読地名。シソウ市と読む。
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