2016年5月5日木曜日

〇5/5(木)今日も快晴。播州姫路の書写山「円教寺」にロープウェイで登る。秘仏重文九体の大公開。その後高速の渋滞にちょっと掛かったが、北神戸三田で下りて「高売布神社」の重文本殿をスイスイ見に行く。今夜は道の駅「いながわ」で泊る。

〇今日はのっけから皆さんに難問が課せられている。
「高売布神社」は超難読社名。これが読めたら‥おかしい。案内標識には「Takamefu」と表示してあった。「売」をmeと読ます例はある。万葉仮名使いみたいやなぁ。三田市の山奥だが広い谷が開かれて格好の水田農業地帯になっている。
「猪名川町」はどこにあるか。日本人の99%は知らないと思う。存在すらも知らないんじゃないか。伊丹・箕面・宝塚の北、三田の東にある。小っちゃい。こう聞くとボクが大渋滞を避けながら、文化財探訪の旅を続けながら、帰路としては結構好い線を辿っていることがお分かり頂けよう。そう、ボクは無宿流浪の旅のヴェテランなのです。明日は明日のそれなりの風が吹いているでしょう。
〇今朝は六時半に起床。七時には吉備SAの売店・食堂が営業していた。ボクはパンを買って朝食にした。岡山から姫路まで横っ飛び。姫路の書写山ロープウェイは15分間隔で運転する。ボクは09:00ジャストの便に乗って4分後に書写山の上に居た。書写山・円教寺は西の比叡山・延暦寺と言われる。天台宗の寺。言われるだけのことはある。標高三百数十メートルの山上にこれだけ壮大な古刹を維持してきたとは奇跡に近いこと。かつてあった五重塔の落雷炎上の延焼で大伽藍群が丸焼けになったり、秀吉が中国遠征の際本陣を置いて摩尼殿を取壊したりなど数知れぬ災厄を蒙ったがその都度蘇った。摩尼殿本堂は昭和に入っても焼失している。が、見事に復興した。不死鳥のような大寺だ。円教寺を凄いと思うのは、山上の奥の奥に忽然と大境内が開けそこに大講堂・食堂(じきどう)・常行堂の三大伽藍がコの字型に建ち並んでその不思議な弩迫力で一般参詣者を圧倒してくることだ。圧倒的という言葉は、この三大伽藍が組み合わさって創り出す存在感を表すためにある。一見して文化財的価値が横溢しているこの三大伽藍の組合せ方は他に類例を見ないもの。ボクはいずれこの三大伽藍はセットとして国宝になる日が来ると思っている。それほどのド迫力。今日ボクがわざわざ書写山に登ったのは、円教寺の秘仏重文仏像九体が公開される日に当たっていたから。摩尼殿本殿の四天王像(四体)、大講堂の釈迦三尊像(三体)、常行堂の丈六阿弥陀像(一体)、そして奥ノ院の性空上人像(一体)。これらの仏像をボクは懇ろに拝観して回った。そして最後に奥の院でそこの主のような態度で解説しているボランティアのお爺さんに恐る恐るお伺いを立ててみた。「(撮影禁止と書いてないんですが)まさか撮影してもいいということはないんでしょうね」。答えは驚きものだった。「いいですよ」。僧侶でないことが明らかなその人の言葉は自信と威厳に満ち溢れていた。開山上人の御尊影でさえ写していいのだ、他の仏像も当然許されるのではないか、そう思って期待を込めて尋ねると当然という顔をして頼もしい答えを返してくれた。ボクは喜び勇んでまたそれぞれの伽藍の中に入り直して堂々と撮影に勤しんできた。素晴らしいッ、こんな素敵なチャンスを与えてくれた円教寺に感謝の念を捧げながらボクは下山した。この古い大寺のこの大らかさが素晴らしい。その結果、ボクのデジカメに秘仏九体の生映像が残されている。楽しみぃ。
〇この後、大渋滞を予想してその回避策として三田市、川西市の文化財を探訪しがてら東へと帰路を辿ることにした。この作戦は目下当っている。山陽道で睡魔に襲われPAで午睡したら何と一時間半も熟睡した(それが何PAだったか思い出せない)。それで探訪先は三田市の山奥の「高売布神社」だけに止まった。明日はどんなコースを辿って探訪を続けて敦賀に至るか、それは明日のお楽しみ。渋滞に巻き込まれることだけはプライドに懸けて御免蒙りたい。

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