〇本尊は久遠実成本師釈迦牟尼仏、祈祷本尊は最上位経王大菩薩。最上位経とはすなわち法華経のこと。像容は右手に鎌、左肩に稲束を背負い、白狐にまたがる天女の姿をしており、稲荷神の本地とされる荼枳尼天(だきにてん)の像容とその特徴を同じくする(豊川稲荷は荼枳尼天を祀る。荼枳尼天はインド渡来の仏教守護神の一つで、稲荷明神とは全く異なる)。
〇秀吉の高松城水攻めの際、本陣が裏山に布かれ戦火で一山の堂塔伽藍が焼失した。江戸時代初期に再興され、そのとき天台宗から日蓮宗に改宗。
↓秀吉の水攻めで有名な備中高松城の少し手前に建つ巨大な鳥居
↓「最上稲荷総本山・妙経寺」
↓最上稲荷は山の中腹にある。参道は緩い階段を長々と登る。その参道入口。
↓それがまたいつ来ても暗くて不気味なシャッター通り化している。老舗で廃業した店も幾つかある。初詣客は60万人らしい。
↓仁王門
↓仁王門を潜る
すると、キツネが待っている
↓本殿・霊光殿 巨大な鉄筋コンクリート建造物。この本殿の本尊は多分《最上位経王大菩薩》 即ち「日蓮宗」系でなくて「稲荷明神」系と推測する。日蓮宗系の根本大堂は「妙経寺(二)」で示すが別に存在する。そちらの本尊は《釈迦牟尼仏》
〇前回ここを訪れた時は、疲れた足を引きずって参道を登って辿り着いてみれば、鉄筋コンクリート造りの仁王門と本殿、社務所等が目に飛び込んですっかり気分を悪くして、どうせ稲荷社はあっても見る価値のない小社だろうと決め込んでさっさとまた重い足を引きずりながら参道を下った。が、今回は先にいかなる失意が待っていようともとにかく探訪を遂げることにした。
〇小高い丘の上に出ると‥‥想定外の好ましい光景が展開した
↓旧本殿と拝殿
↓拝殿
↓幣殿
↓「最上位経王大菩薩」
↓幣殿
↓旧本殿・霊応殿
↓現在地から左上に向けて登ると「本滝」があり、その奥に「八畳岩」の聖地がある。左下方面の一段低い境内に巨大な鉄筋コンクリート建造物が建ち並ぶ
↓本滝へ
↓八畳岩へ
↓ Aゾーンの摂末社群
↓左端に神馬舎がある
↓ Bゾーンの摂末社群
↓ 鐘楼。背後の大建築物は新本殿
↓ 妙見堂、秀吉本陣(一の丸)に上がる道
↓ 「一の丸」は右下方面の緑色の小円部分
↓ 鐘楼辺りから見た小山。多分この山が「一の丸」
↓ Cゾーンの最後の末社。石が御神体
0 件のコメント:
コメントを投稿