2016年5月4日水曜日

〇5/4(水)備後国・福山に向かう。福山市鞆の浦の探訪をほぼ予定通り終えた。備後安国寺の重文釈迦堂と重文仏像4体にも会えた。阿伏兎観音堂探訪。福山市・明王院の国宝金堂と五重塔を再訪。美しいものは何度見てもどれだけ見ても美しい。

〇六時起床。意外なことに快晴。今日も好い旅になりそう。渋滞情報が増えている。
〇道口Pを七時出立。広島県福山市の鞆の浦のPに悠々とセレナを納車。午前中一杯鞆の浦の街中を歩き回る。念願の第一は医王寺の背後の山に登って万葉集に詠われた絶景を見ること。石段を500段ほども登ったか。とにかく先ずは念願成就。次は重文・岡田家を見ること。これも成就。幕末に京から長州に七卿落ちした公卿方はこの家に泊まったそう。船旅でここまで来たのだろう。さらに沼名前(ぬなくま)神社にある可動式能舞台・重文を見ること。これも成就。戦場にも能舞台を持ち込んで組立て能を催して楽しんだという。山中鹿之助の首塚が鞆の浦にあるというので拝見した。寺の境内にあるというので入って見たが分らない。墓参中の美人のおばさんに尋ねたら、境内になくて道にあるんですよと言ってわざわざ道端の首塚まで案内してくれた。親切は嬉しいもの。平賀源内が生前に造らせていた墓石を見た。風変りな男に違いない。坂本竜馬の組織した海援隊所有の艦船・いろは丸が初航海で、紀州藩所有の大型艦船に衝突されて鞆の浦の沖合で沈没した事件で、竜馬は紀州藩から八万四千両を巻き上げたが、海底から引き揚げられたいろは丸関連の資料が展示されたいた。あの事件は、鞆の浦近くで起きた事件だったか。竜馬が紀州藩と談判のため泊った宿も現存しているそう。その他見学して回ったことは一々書いておれない。ボクは疲れている。
〇特筆すべきは、備後安国寺の重文・釈迦堂と堂内に安置されている本尊釈迦三尊像(重文)と★上人像(重文)に鞆の浦で逢えたこと。ボクは、福山市の別の地域に探訪しに行くものと思い込んでいた。仏像の撮影さえも禁止されていない。その大らかさが嬉しい
〇鞆の浦の西に阿伏兎(あぶと)観音堂・重文があることを知って急遽探訪。果たせた。
〇今日の最後は明王院の再訪。鞆の浦から北に20kmほど行く。福山市の郊外。草戸稲荷神社が隣り。ここの金堂と五重塔が素晴らしい。いずれも国宝。それも一級の国宝。本当に美しいものは、どの角度から見ても、どういう光陰の下に置かれても美しい。本物の美人はどこからどう見られても美しいのと同じ。明王院の金堂と五重塔はそのような美しさを持つ。どれだけ見ても、何枚写真を撮っても飽きない。
〇午後四時半に明王院を出発。福山東ICから山陽道に入りどこかのPかSAで泊まるため。吉備SAに来た時に疲れを覚えたので今夜はここで泊ることに。岡山市の近くだから、明朝姫路の書写山・円教寺を訪れるのに距離時間に支障はない。円教寺で5/3~5の間、秘仏の大盤振舞い大公開がある。それを見たいから行くのだが、問題はその後の日程。中国大返しのように引き返しにかかった以上今度は東へ東へと戻るしかない。5日と言えば大渋滞が予想される日。書写山での仕事は午前中に終わるだろう。午後の日程をどうするか。

0 件のコメント:

コメントを投稿