『二日 辰ノ刻(午前8時)、(築地を)立。 ‥‥昼時分より晴、アイ風出。新潟へ申ノ上刻(午後3時過ぎ)、着。一宿ト云、追込宿之外ハ不レ借(追込み宿のほかは宿を借れず)。大工・源七・母、有レ情、借。 甚持賞ス。』 大工の源七の母親が情ある人で宿を貸してくれた。
〇「アイの風、出る」との記述から舟便で新潟に着いたことが推察される。当時築地から新潟までは沼・潟・河を繋いだ水運が発達していた。そのことは前章の「築地宿」で述べた。
大工源七の家が新潟の何処にあったかを知ることはできない。新潟で芭蕉を記念するものを探すのは難しい。ようやく探し当てたのが護国神社の「芭蕉堂」。
↓新潟護国神社・二の鳥居
拝殿
↓護国神社としては全国屈指。「芭蕉堂」を発見するのは至難だと見て「おはらい受付所」に寄った。巫女さんが懇切に教えてくれた。
↓二の鳥居を潜って一の鳥居に向うんだそう。
↓途中で横に入る所がある。
↓入って探すと分る。そうだがちょっとやそっとでは分り難い。
↓発見
↓「新潟名所・芭蕉堂 俳聖芭蕉翁元禄二年新潟に来りて文化の種をまきしを記念して。現存する芭蕉翁の記念堂としては日本一の大きな建物なり。永久保存のため堂の中は全部コンクリートつめにして中に翁の肖像画と由来書を銅筒に入れてあります。‥‥。昭和41年5月 吉原芳仙自費(500万円らしい)建設して新潟市へ寄贈す。」
↓側面に嵌め込まれたレリーフ 《海に降る雨や恋しき浮身宿 芭蕉》 芭蕉が新潟に滞在したことに因む句だと言われている。
↓芭蕉と曾良の旅姿 芳仙は画家
↓近くに蓑塚がある↓左に「芭蕉堂」、右に「蓑塚」
↓一の鳥居に近い
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