「‥徳城寺は、北陸街道(今の県道1号線)沿いにありましたが、明治13年(1880)に現在地に移転してきました。‥翁を顕彰するために川瀬知十(芭蕉宿泊宿「川瀬屋」の主)らが建立した有磯塚があります。‥」
↓徳城寺山門↓鐘楼
↓本堂
↓本堂前に仁王像が立つ
〇有磯塚
↓芭蕉句碑。風化して刻字が判読できない。プラスチック板で保護されている。
新しい句碑。《早稲の香やわけ入る右はありそ海》
↓「有磯塚 早稲の香やわけ入る右はありそ海 芭蕉 明和元甲申年十月十二日(1764年)
元禄2年(1689年)春「おくの細道」紀行に旅出た松尾芭蕉は門人曾良と共にみちのくから日本海側の越後を通り、旧暦七月十三日越中へ足を踏み入れ同夜は滑川で宿した。この句はこのころ詠まれたものであろう。翁の七十回忌に、滑川俳壇を代表する川瀬知十らが句碑の建立を思い立ち、有磯の浜の砂を手でさらえ、荒波かかる自然石を荷い運んで地元ゆかりのこの秀吟を刻み古刹徳城禅寺境内に建立したものである。明治十三年徳城寺が荒町海岸から現在地に移ったとき、句碑も共に移転し今日に及んでいる。」
◇旧北国街道(今の県道1号線)を櫟原神社、川瀬屋跡と暑気にやられながらも歩を進めたが、ターンして徳城寺を訪ねる頃にはすっかりグロッキー。さらにJR滑川駅前の旧北国街道道しるべに辿り着いた時はもはや熱中症状態。駅から海辺の道の駅までは途中の小公園の木陰のベンチに横たわったりしながら辿り着いた。土・日の新潟県・群馬県旅行の気力体力は失せていた。仕方なくすごすごと七尾にUターン。
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